第505話 #野見宿禰 #当麻蹴速 #台与(豊) #邪馬台国
日本の国技である相撲の発祥は、野見宿禰と当麻蹴速の対戦とされています。
野見宿禰については、すでに第401話:犬養氏:スサノオは天手力男神=野見宿禰、第179話: 野見宿禰は大阪府高槻出身でウツシコオであるとしています。
そして当麻蹴速もウツシコオのようなのです。
当麻蹴速(たいまのけはや)は、その名から當麻寺(たいまでら)がある奈良県葛城市の当麻邑(たいまのむら)の出身と思われています。しかし、大阪府寝屋川市に寝屋川市太間町(たいま)があります。枚方市伊加賀の近くです。伊加賀は崇神天皇の関連の深い土地です。そして太間町は、第469話:石の宝殿2~大阪府寝屋川市とも近い場所です。
日本書紀の仁徳天皇11年10月の項には、「どうしても決壊してしまう場所が2か所あり、(茨田堤の)工事(が難渋した。」それが、コワクビの断間(大阪市旭区千林)と、コロモコの断間(寝屋川市太間)です。とあり、この寝屋川市太間は茨田堤のとも関連が深い場所なのです。
ということは、太間は、台与(豊)とウツシコオと非常に関連の深い場所だと言うことが分かります。このことによって当麻蹴速(太間のケハヤ)はウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)であると言えるのです。
記紀の作者たちは、同一人物同士をたびたび対戦させています。
・神武天皇 VS 長髄彦~このブログはこれまで神武天皇のことを度々検証しています。
神武天皇はウツシコオと台与(豊)の事績をなぞっていることが分かっています。
神武天皇と長髄彦は同一人物です。~神武天皇の正体~若御毛沼命、豊御気主命は三毛入野!、神八井耳命は三毛入野、ちはやふる天児屋命は長髄彦~添御県坐神社、長脛彦の物語
・桃太郎 VS 鬼(うら)
桃太郎は吉備津彦命で吉備津彦命は台与(豊)もしくはウツシコオです。
第371話:彦狭島命~吉備児島では彦狭嶋命=吉備津彦=南方刀美神(タケミナカタ)としています。第421話:鬼の正体では、その鬼にも名前があって温羅(うら)というのです。ウツシコオは浦嶋太郎です。浦は温羅で、嶋は兕馬觚(魏志倭人伝)です。鬼=浦島太郎=吉備津彦命です。* 島根県出雲市斐に御名方神社(みなかた)があります。祭神はタケミナカタではなく、吉備津彦です。
・垂見宿禰という野見宿禰とよく似た名前の人物がいます。
日下部系森家の系譜によると、日下部垂見宿禰(くさかべ・おたるのすくね:たるみのすくね)という人物で、またの名は浦島太郎とかいてあります。そしてその子は川上眞稚命:です。「かぐや姫と浦島太郎の血脈」佐藤陽太著 p241 (川上眞稚命は台与です。熊襲建=川上梟帥とヤマトタケル、ヤマトタケルは台与)
*天之日矛(アメノヒボコ)から神功皇后に至るの系図の中で当摩之咩斐(當摩之咩斐:たぎまのひめ)という人物がおり、当麻蹴速との関連があるとされています。つまり当麻蹴速はアメノヒボコの血筋だということです。アメノヒボコはウツシコオです。~ 第329話:アメノヒボコはウツシコオ
・国譲りではタケミカズチがタケミナカタを打ち破っていますが、タケミカズチもタケミナカタも台与です。タケミカヅチは台与!!、タケミナカタ南方刀美神(タケミナカタ)~三島の溝杭3代目
◎宮地直一氏(神道学者)は、タケミナカタとタケミカヅチとの力競べは皇祖側の威光を高めるために創作されたもので、タケミナカタには劣敗者という性格が元々なかったと主張しています。宮地氏によると、「勝敗の懸隔余りに甚だしいあたりは、かの野見宿禰と当麻蹴速との角力に関する物語と同様の仕組になり、諏訪の祭神が「諏訪神」なる自然神からタケミナカタという人格神に変化したのが「古事記成立の奈良朝を余り遠ざからぬ前代の事」という見解を示しています。~タケミナカタ - Wikipedia
◎奈良県葛城市の当麻邑(たいまのむら)は寝屋川市から疫病の大流行により移転したと思われます。
※これまでの記事はこちらです。
※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
・ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。
・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。
<目次>
丹の湖~亀岡盆地は湖だった!!
河俣毘売(かわまたびめ)~放出(はなてん)
奈具遺跡(京丹後市弥栄町溝谷)
は奈具遺跡(弥栄町黒部奈具)が知られていた。
妃:広媛(ひろひめ、黒比売。坂田大跨王の女
黒部と溝谷の境がややこしいが、ここは黒
甕襲 - Wikipedia
『日本書紀』によれば、506年に大変な暴君[注 5]と伝えられる武烈天皇が後嗣を定めずに崩御したため、大連・大伴金村、物部麁鹿火、大臣・巨勢男人ら有力豪族が協議し、まず丹波国桑田郡(現京都府亀岡市)にいた14代仲哀天皇の5世の孫である倭彦王(やまとひこのおおきみ)を推戴しようとしたが、倭彦王は迎えの兵を見て恐れをなして山の中に隠れ、行方知れずとなってしまった。
<台与シリーズ>
https://www.hidemaru3375.com/post/かぐや姫は、台与(とよ)
https://www.hidemaru3375.com/post/磐井の乱と台与
https://www.hidemaru3375.com/post/豊受姫(豊受大神)は崇神天皇
https://www.hidemaru3375.com/post/火明命は饒速日なのか??
https://www.hidemaru3375.com/post/豊鍬入姫命-日光と男体山・女峰山
hidemaru3375.com/post/台与と秦氏 敏達天皇は台与(豊)
衣通姫(そとおりひめ)は台与(豊)
孝昭天皇は台与:日原は目原 飯豊王女は台与(トヨ)なのか?
金銀錯嵌珠龍文鉄鏡(2)大原足尼命はトヨ
倭迹迹日百襲姫命(ヤマトトモモソ姫)はトヨ??
饒速日(ニギハヤヒ)は台与①~稲作 台与は饒速日②~交野市倉治
小楯姫は台与:小楯は枚方 四道将軍:日子坐王は台与!
少彦名大神(スクナヒコ)は台与! 大彦は台与!??
ウマシマジは台与! 阿蘇都媛は台与
沼河比売は小楯姫=台与 タケミカヅチは台与!!
ヤマトタケルは台与 瓊瓊杵尊:ニニギは台与
継体天皇はトヨ(台与)??! 継体天皇は台与2~大々杼郷:楯原神社
継体天皇は台与3~田井(寝屋川市) 英彦山と台与
山部赤人は台与! 八幡神は台与!!
とよ(乎止与命・台与・臺與) 台与の物語