第522話 #雄略天皇 #隅田八幡神社人物画像鏡 #台与(豊) #邪馬台国
雄略天皇については、すでに第397話:獲加多支鹵大王(ワカタケル大王)~雄略天皇天皇はウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)と書きましたが、一般的には雄略天皇は実在する天皇ととらえられているようです。ウイキペディアでは、考古学的に実在が実証されている天皇とされています。
その考古学的に実証されている文献を探してみると、下記のような文献が見つかりました。
五世紀代二人物の実在性について 一葛城襲津彦と雄略天皇-・
引用させていただくと下記のような記述がありました。
考古学的に実証とは、隅田八幡神社人物画像鏡のことのようです。
・5世紀の日本において,その実在が確実だとみられる人物は、少なくとも2人いるとされている。その1人は4世紀末から5世紀初頭にかけて,朝鮮半島を舞台に活躍した葛城襲津彦である。~葛城襲津彦は、葛那古と同一人物でウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)です。←第327話:于道朱君の衝撃~新羅
・もう1人は5世紀末の天皇雄略である。葛城襲津彦の実在は井上光貞氏の論証によって,雄略の実在は1968 (昭和43)年発堀され1978 (昭和53)年発見された埼玉県行田市の稲荷山古墳出上鉄剣銘によって,ほぼ確実なものとみるのが定説である。葛城襲津彦の実在は,彼とほぼ同時代人とみられる応神天皇の実在を間接的に証明するものとみなされ,さらに彼の娘の磐之媛とその息子履中・反正・允恭の実在をも推測せしめるものである。
~ウツシコオ・台与は私の推定では、邪馬台国の時代:BC200年~300年までの間に実在した人物です。雄略天皇は丙申年(BC456年) - 己未年(479年)とされています。これは記紀の作者たちが天皇家の歴史を創作するためにウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)・台与の事績を編纂したためです。
・通説では神功紀・応神紀の百済王暦は『百済記』にもとづいており,干支二連くりあげて『紀』に記されているとする。山尾説では百済王暦以外の「百済記」の記事は三運くりあげられていることになるわけで,『紀』の編者か『百済記』の王暦部分と記事部分とに分けて片方を二運,もう一方を三運くりあげたとみるか,『百済記』の編者が記事部分の干支を一運すでにくりあげており,それを『紀』の編者が全体として二運くりあげたかの両方の場合を考え ねばならないことになる。『紀』編者が『百済記』の記事を分割して操作する必然性はないと思われるから,『百済記』の編纂の時点で既に千支一連のくりあげ操作が『百済記』編者の手によってなされていたとみるべきであろう。この点からも『百済記』自休の信憑性は回題とされる必要性かおるといえよう。~雄略天皇は丙申年(BC456年) - 己未年(479年)ですから記紀の作者たちも年代合わせに苦心しています。
~このブログ:第397話:獲加多支鹵大王(ワカタケル大王)では、「辛亥年」は471年が定説ですが、例によって240年(干支二回り)を引くと231年となります。ウツシコオ(内色許男命)=難升米が魏に行ったのは239年です。としています。
・隅田八幡神社人物画像鏡の銘文をヲ ワケ臣に対する墓誌の一種と理解すれば,ヲワケ臣の非儀にあたり彼と何らかの関係を有した ワカタケルか,自分を含めた一族の奉事の根原を記した百練利刀をつくらせ,ヲワケ臣の遺骨 に奉納したものとみることができる。銘文が墓誌または誄の一種とみる見解はすでに提起され ているが,ヲワケ臣が「吾」であるとすれば,生前に死を前提として鉄剣銘を刻ませたという 少々無理な理解をせざるをえないといえよう。また墓誌の一種などではないとすれば,通常刻 まれるべき吉祥句のない点をどのように理解すればいいのであろうか。 もちろん上述の訓みは試案であって,これにこだわるつもりはないが,試案が仮説として成 立しうるとすれば,「獲加多支薗大王」の人名自体が銘文にはなかったこととなり,雄略天皇に 比定する根拠自体がなくなってしまうのである。 その実在はそれほど確実視できるものではなく,疑問をさしはさむ余地が多いことだけは,不充分ながらも論証しえたと思い拙稿を終えたい。
~ということで雄略天皇が実在(BC400年代に)するという根拠は確定していません。
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・井上氏は神功紀62年条本文に「新羅不朝。即年。遣襲津彦撃新羅」とあり,分注に引刑された百済記にみえる人名の「沙至比脆」がこの「襲津彦」に対応するとされた。「ソツヒコ」の「ソ」と「サチヒコ」の「サ」,前者の「ツ」と後者の「チ」は交替しやすいことが理由である。~第328話:沙至比跪(サチヒコ)では沙至比跪(さちひこ:幸彦)はもちろんウツシコオです。参照:ヒコユキからウツシコオへ ウツシコオの名前についての弁明 忌部氏(彦幸)~和歌山・名草としています。
※「日十大王」は「日下大王」と読み替えが可能です。万葉集の註に「日下」を「早」と書いた例があることから「日十」を「早」の一文字とみた神田秀夫氏の説があります。森浩一氏は「日十」は「草」の簡体字としておられます。
・日下(くさか)は東大阪市の地名です。〒579-8003 長髄彦の地元です。長髄彦はウツシコオです。~第213話:長脛彦の物語
・日下は日の下=ひのもと=日本(下=本)の意味です。
・私は台与(豊)が初代天皇(大王)だと思っていますので、日下大王はウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)ではなく台与(豊)としたいと思っています。
※これまでの記事はこちらです。
※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
・ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。
・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。
<目次>
黒媛 - Wikipedia
車持氏 - Wikipedia
鳥時代には、車持国子の娘の車持与志古娘が中臣鎌足に嫁ぎ藤原不比等を産んだとされる。
file:///C:/Users/user/Downloads/%E7%94%B0%E4%B8%AD%E7%AB%A0%E4%BB%8B.pdf
https://www.kankyo-u.ac.jp/tuesreport/2019/20191223/
<これまでウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)であることが判明した人物>
第374話:牛鹿臣はウツシコオ! 第371話:彦狭島命~吉備児島
第372話:建日方別:彦狭嶋命 第369話:神武西征~健磐龍命
第365話:君が代(2):君はウツシコオ 第363話:彦はすべて、ウツシコオ
第324話:武内宿禰はウツシコオ!! 第325話:天之日矛はウツシコオ
第326話:大日彦(オホヒヒ彦)~守口 第327話:于道朱君の衝撃~新羅
第328話:沙至比跪(サチヒコ) 第329話:アメノヒボコはウツシコオ
第330話:投馬国とウツシコオ~丹波(但馬) 第331話:朱智神社~迦邇米雷王
第333話: 牛頭天王(スサノオ)はアメノヒボコ?
第380話:猿田彦は異国人 第401話:犬養氏:スサノオは天手力男神=野見宿禰
第335話: 天道根命は道祖神=ウツシコオ 第334話: 大彦は、五十猛!
第336話:大屋彦~根の国は和歌山 第337話:阿多賀田須命~宗像氏
第338話:月読命(ツクヨミ) 第349話:天児屋命はウツシコオ!!
第357話:武甕槌神(タケミカヅチ)考 第317話:ひょっとこ:火男~天之御影命
第318話:空海のルーツは内色許男命! 第319話:和知津美命はワタツミ!!
第320話:欠史八代はヤマト=三島 第230話:三嶋溝抗命たち(複数)
第231話:神八井耳命は三毛入野 第232話:内色許男命は武埴安彦命!
第274話:八咫烏もウツシコオ 第275話:事代主もウツシコオ?
第279話:開化天皇 第280話:建角身命もウツシコオ
第263話:中臣氏~中臣烏賊津 第256話:ウガヤフキアエズのミコト
第244話:大津神社と建南方富命 第245話:豊御気主命は三毛入野!
第246話:高御産巣日神(高木神) 第247話:今迦毛大御神と天若日子
第249話:物言えぬ皇子~阿遅須枳高日子 第251話:猿田彦は塩土老翁神
第252話:迦毛大御神は崇神天皇! 第253話:キサガイヒメはウツシコオの母!
第354話:伊勢津彦はタケミナカタ =ウツシコオ 第254話:興玉命も内色許男命
第361話:宇都志国玉神と宇都志日金拆命 第394話:天御鳥命(武夷鳥命)は火の鳥
第395話:天日鷲命は、、、 第397話:獲加多支鹵大王(ワカタケル) =雄略天皇
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