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黒姫~真黒比売命・迦具漏比売

更新日:12月2日

第509話 #黒姫 #真黒比売命 #迦具漏比売 #台与(豊)


古事記には景行天皇の6世孫である迦具漏比売(カクロ姫)が景行天皇の妃となり忍熊王の祖父を産み、さらには応神天皇の妃となり允恭天皇皇后の忍坂大中姫を産むという極めて不可解な系図があります。


景行天皇の妃は具漏比売(かぐろひめ)ですが、古事記では他にもう一人の具漏比売(かぐろひめ)なる人物がを記載されています。こちらの「迦」具漏比売は応神天皇の妃となっています。迦具漏比売(カグロ姫)は景行天皇妃であり、応神天皇妃であることになります。


この点については、色々と議論もありますが、古事記、日本書紀は創作で台与(豊)とウツシコオの事績をヒントに創作したものとすれば、カグロ姫が景行天皇と応神天皇の妃であっても不思議ではありません。景行天皇=応神天皇=台与(豊)です。~武内宿禰はウツシコオ(2)◎魏志倭人伝では、卑弥呼の後継者は台与と書かれています。しかし古事記、日本書紀には台与は全く登場していません。と思われていました。しかしちゃんと台与のことが記載されていたのです。記紀は歴史書ではなく、藤原不比等によって台与(豊)の事績を元に創作された小説です。


他に黒のつく妃としては、息長田別王の妃 黒媛(大々杼 黒城)がいます。(日本書紀、先代旧事本紀) 大々杼 (おおど)は継体天皇=台与(豊)です。~継体天皇は台与2~大々杼郷:楯原神社

神功皇后の治世に、仲哀天皇は筑紫の熊襲を征伐するために穴門国豊浦に御幸し、その途中で楯之御前社に参向した際、黒城に跡継ぎがいないことを知って、兄弟の息長田別王を黒城の娘黒媛に婿入りさせ、息長杭俣王が生まれたとの記述があります。


を元に説明させていただくと下記のようになります。


1)倭建命→

息長田別王

杙俣長日子王→

飯野真黒比売命

  ↓   

  ↓

  ↓

  ↓

2)倭建命→

若建王→

須売伊呂大中日子王

訶具漏比売(景行天皇妃)

1)一妻系譜 


2)古事記




系譜研究家の宝賀寿男氏は杙俣長日子王と須売伊呂大中日子王と同一人物とされておられます。とすると飯野真黒比売命と訶具漏比売(かぐろひめ)は同一人物となります。


さらに系図の続きを書くと

杙俣長日子王―息長真若中比売(応神天皇妃)=飯野真黒比売命=迦具漏比売=忍坂之大中津比売命( 衣通姫=通郎女)=台与(豊)となります。~衣通姫(そとおりひめ)は台与(豊)


ところで「黒」となにかというと、前回書いた奈具遺跡の地名は京都府弥栄町部奈具の黒はないでしょうか。奈具遺跡で出土した玉(水晶玉・ガラス小玉・碧玉製)が奈良県の鍵・唐古遺跡で出土した玉との関連があると思われ、調査されています。鍵・唐古遺跡は孝霊天皇の黒田庵戸宮の近くで、ヤマトトモモソ姫は7歳までこの地にいたとされています。ヤマトトモモソ姫は台与(豊)です。~倭迹迹日百襲姫命(ヤマトトモモソ姫)はトヨ


田庵戸宮にいた姫なら黒姫(真黒比売命・迦具漏比売)とよばれても不思議はないでしょう。


※これまでの記事はこちらです。


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 


<目次>











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秀丸 遠嶽
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23 Νοε
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