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八幡神は台与!!

更新日:10月17日

第472話 #豊国は台与の国 #八幡 #辛島 #香春 #秦氏


秦氏の奉ずる八幡神(やはたのかみ)は、後に弓矢神つまり武神・軍神となりますが、その原初は銅や鉄を産する神でした。民俗学者の柳田国男はこれを鍛冶の神としています。

八幡宮はみな応神天皇を主祭神とし神功皇后(応神天皇の后)と比売神(ひめかみ)をともに祀っています。


秦氏が奉じた八幡宮の総本社の宇佐神宮のある大分県宇佐市のあたりは豊前すなわち秦王国で、渡来した秦氏の民が多く住むところでした。宇佐のウサは兎(ウサギ)のことです。宇都宮のウツは兎のことです。宇佐家の氏神は、ウサ神ですなわち兎神だそうです。ウサはウツシコオ(内色許男命)・ウツシコメの内里(京都府八幡市内里)のウチが転じたたものです。京都の宇治は秦氏=ウツシコオ(内色許男命)スサノオ(津田の王今の本拠地です。今でも宇治は兎道と書きます。宇治=ウチ=ウツ=ウサです。


秦氏系の渡来氏族辛嶋(からしま)氏は、新羅からきてウサの河原に住んだという「香春」(かはる、かわら)の神を奉じ、香春神社は、古来銅の産出で有名な香春岳の山麓にあり、古宮八幡宮は大字採銅所にあります。香春(かはる)はもともと「カル」。「カル」は、金属とくに銅のことです。


香春は筑豊地域でかつては三池炭鉱で賑わった地です。つまり大分県宇佐市(豊前)の総合商社であるは秦氏の九州支店であったということです。秦氏総合商社の本店(=邪馬台国)は前号で書いたように、平原広沢である深草(山背国紀郡深草里)です。第73話:鬼道はサイエンス  ~古代天皇は技術者&ビジネスマン


辛嶋(からしま)とは高良に同じで大阪府寝屋川市に打上神社(高良神社)があります

この寝屋川市には太秦(うずまさ)があります。ここも秦氏の根拠地ですが、ここは大規模な土木工事である茨田堤を築くために拠点地にしたのです。京都の太秦は、亀岡(壁岡盆地湖)の灌漑のための拠点でしょう。第412話:ヤマタノオロチは淀川~茨田堤2


「ヤハタ」の意味には史家の間に諸説あり、「ヤ」(八)は「弥」で、数が多いこと、幾重にも重なる様のこと。「ハタ」(幡)は「幟」「旗」で、神々が降臨する依り代、つまり「ヤハタ」とは「数多くの幡(が幾重にも重なって風になびく)」の意味で、祭祀の際に降臨する神の依り代として何本も立てる幡、と考えるのが妥当とされていますが、「ハタ」(幡)は秦でしょう。ヤ・ハタは大いなる秦です。


秦氏は技術力・開発力・経済力・宗教文化によって大きな富と権勢を得、その隠然たる力をもって朝廷のさまざまな氏族と混淆したが、徹底して政権の表舞台には立たっていません。

これは記紀の作者たちが徹底して台与(トヨ=豊)の存在を隠したからです。


八幡宮はみな応神天皇を主祭神とし神功皇后)と比売神(ひめかみ)をともに祀っています。これらの神はすべて台与つまり、応神天皇=神功皇后=比売神は台与をモデルに創作され人物です。


第308話: 八幡神はヒルメでは八幡神はヒルメ=卑弥呼であるとしていました。しかし、秦氏が九州に進出した頃には、卑弥呼はすでに亡くなっていたと思われます。卑弥呼の後を継いだ台与が九州に進出したことは、第406話:金銀錯嵌珠龍文鉄鏡(2)大原足尼命はトヨ 第407話:日田:金銀錯嵌珠龍文鉄鏡3 第428話:阿蘇都媛は台与で書いています。


豊国(とよのくに)は、福岡県東部および大分県全域に相当する九州の北東部地域ですが、豊国は文字通り、台与の国です。


※これまでの記事はこちらです。


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 


<目次>





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