第502話 #日高見国 #邪馬台国 #台与(豊)
邪馬台国と同様に日高見国は、古代史ファンの想像を掻き立てるようです。
日高見国という国のが、記紀に初めて登場するのは、第12代景行天皇紀です。
「武内宿禰は北陸及び東方に派遣され、地形と百姓の様子を視察した。
帰国すると、蝦夷を討つよう景行天皇(台与)に進言した。」~武内宿禰はウツシコオ(2)
「東(あづま)の夷(ひな)中に日高見国(ひだかみのくに)有り。其の国の人男(おのこ)女(めのこ)並に椎(かみ)結(わ)け身(み)を文(もどろ)けて為人(ひととなり)勇み悍(こわ)し。是を総て蝦夷(えみし)と曰ふ。亦土地(くに)沃壌(こ)えてひろし。撃ちて取りつべし」
→「東国の田舎に日高見国がある。その国の人は髪を結い分け、体に入れ墨を施し、勇敢で強い。これをすべて蝦夷という。また、土地は肥沃で広大である。ぜひ、攻撃し奪い取るべきである」
・常陸国風土記には、常陸国信太郡(稲敷郡の一部)に、「此の地は本の日高見国なり」と書いてあります。また、蝦夷征伐に向かった黒坂命という人物が同国多賀郡で病没し、その棺が信太郡に送られて来たことを「日高見国に到る」と表記しています。
・日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が東征から帰還する際、陸奥国から常陸国に入るところで「日高見国から帰りて」という記事もあります。
・北上川という名前は「日高見」(ヒタカミ)に由来するという説もあります。
これらの記述では、日高見国は東北にあったと推定されます。しかし、常陸の国や大和国にもあったとする文献が存在するためにややこしくなっています。
・大祓詞(おおはらえのことば)では「大倭日高見国」として大和を指すとしています。
「かく依さしまつりし四方(よも)の国中に大倭国日高見国を安国と定めまつりて」とあります。
・津田左右吉氏は、「日高見国は、実際の地名とは関係ない空想の地で、日の出る方向によった連想からきたもの」とする見方もあります。神話学者の松村武雄は、「日高見」は「日の上」のことであり、大祓の祝詞では天孫降臨のあった日向国から見て東にある大和国のことを「日の上の国(日の昇る国)」と呼び、神武東征の後王権が大和に移ったことによって「日高見国」が大和国よりも東の地方を指す語となったものだとしています。また、「日高」を「見る」ということでは異論はないようです。
いずれにしろ特定の場所を指すものではないということでも異論はなく、ある時の王権の支配する地域の東方、つまり日の出の方向にある国で、律令制国家の東漸とともにその対象が北方に移動したものと考えられています。
私は、この「日を見る」ということから、太陽観測「日読み」を思い浮かべました。
第498話でも書いたように、木嶋坐天照御魂神社(京都市)、新屋坐天照御魂神社(茨木市)、他田坐天照御魂神社(桜井市)と同じく稲作のために必要な太陽観測「日読み」の場所だったと思われるのです。~木嶋坐天照御魂神社と日神の託宣
太陽観測「日読み」の技術がなぜ重要かというと稲作です。日本では古くから重要な食糧作物であり、稲は太陽の光を利用して成長します。稲作において太陽の高度や日照時間は重要な要素です。饒速日を祀る物部一族はこの日読みの技術を持っていたのです。
日高見国とは稲作を行っている国ということだというのが私見です。
ウツシコオや台与がいる邪馬台国(ヤマト)以外にも、稲作が行われていた地域がありました。青森県弘前市の岩木山麓にある弥生時代の遺跡・清水森西遺跡から、約2200年前の炭化米が出土した。炭化米の他にも西日本の水稲耕作文化の影響を受けた土器や、縄文時代の影響が残る遺物も見付かっている。日本においてかなり北方である青森でも、かなり早い段階で水稲が始まっていました。
つまり、日高見国がヤマト(邪馬台国)の北部にあるのは、稲作が日本全土に広がっていき、それらの地域は蝦夷(えみし)の地域でヤマト(邪馬台国)には含まれていない地域だったのです。そのため、武内宿禰(ウツシコオ)は北陸及び東方に派遣され、地形と百姓の様子を視察した。帰国すると、蝦夷を討つよう景行天皇(台与)に進言したのです。
日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が東征から帰還する際、陸奥国から常陸国に入るところで「日高見国から帰りて」とあるのもそのためです。日本武尊=台与(豊)です。~ヤマトタケルは台与
遷却崇神詞(たたりがみをうつしやるのことば)では「経津主命*・健雷命*、二柱の神かみ等たちを天降あまくだし給たまひて、荒振神(あらぶるかみ)*どもを神攘(かむはらひ)給たまひ、、、、、皇御孫之尊(すめみまのみこと)*を天降あまくだし寄よさし奉まつりき、如此かく天降あまくだし寄よさし奉まつりし四方よもの國中くになかと、 大倭日高見之國を安國(やすくに)と定さだめ奉まつりて、、、」とあります。*経津主命はウツシコオで、健雷命と皇御孫之尊(ニニギ)は台与(豊)です。~タケミカヅチは台与!!
*荒振神(あらぶるかみ)は蝦夷(えみし)です。
※これまでの記事はこちらです。
※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
・ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。
・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。
<目次>
空海が若いころに「虚空蔵菩薩求聞持法」という修行を修したエピソードがあり、これを成し遂げたおかげで、留学先の中国・唐であらゆる智慧を吸収できたとか。
その空海は旅の僧から虚空求聞持法を会得し、現在の高知県室戸岬にある御厨人窟という洞窟にこもり、100万遍この真言を唱えます。
干支②方位神(ほういじん) | 日本の暦
神社関係でお祭りされ、寅(とら)年の本尊とされているのは大物主神です。
大物主(おおものぬし、大物主大神)は、日本神話に登場する神のこと。大国主神の別名とされている
2022年の寅年に初詣したい「虎」にまつわる神社・仏閣 | 伊勢神宮が大好き!
大阪府枚方市の神社一覧|ことはブログ-kotohablog
国体、神国、皇室典範、万世一系、男系男子、天壌無窮の神勅、教育勅語、靖国神社、君が代、軍歌、唱歌
謎多き丑年の守り本尊:虚空蔵菩薩 - 仏像ワールド
虚空蔵菩薩は台与!!
吉祥とは繁栄・幸運を意味し幸福・美・富を顕す神とされる。また、美女の代名詞として尊敬を集め、金光明経から前科に対する謝罪の念(吉祥悔過・きちじょうけか)や五穀豊穣でも崇拝されている。
天河大弁財天社の創建に関わった天武天皇は天河の上空での天女=吉祥天の舞いを吉祥のしるしととらえ、役行者とともに、伊勢神宮内宮に祀られる女神(天照坐皇大御神荒御魂瀬織津姫)を天の安河の日輪弁財天として祀った。この時、吉祥天が五回振袖を振ったのが、五節の舞として、現在にいたるまで、宮中の慶事の度に催されている。