top of page
tootake

桑田皇女と奈具遺跡

更新日:6 日前

第507話 #桑田皇女 #奈具遺跡 #邪馬台国 #台与(豊)


第496話で敏達天皇は台与(豊) としました。その敏達天皇の子に桑田皇女(くわたのひめみこ)なる人物がいます。京都府丹波には、1879年まで桑田郷(丹波国)がありました。


京都府丹波には桑田神社が2つあり、ともに篠町山本北絛町にあります。

祭神は、大山咋神 、市杵島姫命です。亀岡市東部、保津峡入り口の「大堰川」から「保津川」に名が変わる地に鎮座し、川向いには桑田神社が鎮座しています。その桑田神社とともに保津峡開削の伝承に関連する神社です。


祭神の大山咋神は、湖であった丹波地方の開拓のため来た神といわれ、川を挟んで鎮座する二つの桑田神社の場所から保津峡の開削を始めたと伝えられています。亀岡盆地が湖だったということに関する伝承は周辺各地に残ることが知られています。~第339話:丹の湖~亀岡盆地は湖だった!!


第425話:秦氏と大山咋神で書いたように大山咋神は秦氏の神です。そして台与(豊)と秦氏は深い関係があることも述べました。~hidemaru3375.com/post/台与と秦氏


話で市杵島姫命は卑弥呼だとしましたが、市杵島姫命は台与(豊)としたほうが自然で納得できます。秦氏と台与(豊)が、亀岡盆地を開拓したと思われます。これらのことにより、桑田皇女=市杵島姫命=台与(豊)と思われます。


ところで、継体天皇もこのブログでは台与(豊)としています。

継体天皇が、即位する前に天皇に推挙されたのが倭彦王(やまとひこのおおきみ)です。

第25代武烈天皇)の崩御後に皇位継承者がなく、皇統断絶の危機を迎えて、第14代仲哀天皇5世の孫である倭彦王やまとひこのおおきみ)を推戴しようとしたが、倭彦王は迎えの兵を見て恐れをなして山の中に隠れ、行方知れずとなってしまった書かれています。

この倭彦王の住んでいた場所が丹波国の桑田なのです。


丹波は、で書いたように水銀の産地でもありました。~第446話:笠水彦・笠水姫:笠水は水銀 笠水彦神はスサノオ=ウツシコオで笠水日女は台与です。


そして丹波では日本でも、最大級の遺跡が見つかっています。

竹野川中流域に位置するこの地域には、奈具岡遺跡(京都府弥栄町黒部奈具)をはじめ、奈具岡北1号墳、奈具遺跡、奈具谷遺跡、奈具墳墓群、奈具谷4号墳・5号墳など多くの遺跡、墳墓、古墳が見つかっています。奈具岡遺跡では、弥生時代中期にあたる約2000年前の玉作り工房跡が発見され、水晶の原石、玉製品の生産工程における各段階を示す未製品や、加工に使われた工具などが多数出土しています。生産された水晶玉は、小玉・そろばん玉・なつめ玉・管玉で、ここでは原石から製品まで一貫した玉作りが行われており、国内でも有数の規模と年代を誇っています。水晶玉とともに中国や朝鮮半島から入ってきたと考えられる鉄製工具類なども大量に見つかっており、これは、九州北部よりも先に鉄加工の技術が伝来していた可能性を示すものとして注目されています。これらの出土物は、奈具岡遺跡出土品として国指定重要文化財に指定されています。


丹後国風土記では、「竹野の郡船木の里の奈具の村に至り、即ち村人等に謂ひけらく、「此處にして、我が心なぐしく成りぬ。(古事に平善きをば奈具志と云ふ。)」といひて、乃ち此の村に留まり居りき。斯は、謂はゆる竹野の郡の奈具の社に坐す豊宇賀能賣命なり。」

とあります。豊宇賀能賣命=豊受大神は台与(豊)です。


日本書紀は垂仁天皇の条で、昔丹波国の桑田村の甕襲の家にいた足往(あゆき)という犬が牟士那(むじな)という獣を食い殺し、その獣の腹にあった八尺瓊の勾玉が献上され、この玉が今石上神宮にあると記しています。奈具遺跡は玉造の工房が多数見つかっており、この八尺瓊勾玉もこの奈具遺跡で造られたと思われます。一部には、この勾玉が三種の神器になったという説も存在します。


上記より、桑田皇女=市杵島姫命=倭彦王=継体天皇=台与(豊)と言えるでしょう。

◎魏志倭人伝では、卑弥呼の後継者は台与と書かれています。しかし古事記、日本書紀には台与は全く登場していません。と思われていました。しかしちゃんと台与のことが記載されていたのです。記紀は歴史書ではなく、藤原不比等によって台与(豊)の事績を元に創作された小説です。


桑田神社が保津峡の付近にあるということは、島根県美保神社の祭神である美穂津姫も台与(豊)ということになります。このブログでは何回も書いているように、「ミホ」は美穂でも三穂でもなく御保津(ミ・ホツ)です。保津は保津川のことです。~第81話:三穂津姫尊(御保津姫)~亀岡






※これまでの記事はこちらです。


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 


<目次>





閲覧数:85回2件のコメント

最新記事

すべて表示

2 Comments

Rated 0 out of 5 stars.
No ratings yet

Add a rating

bottom of page