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熱田神社~大阪府寝屋川市太秦

第493話 #熱田神宮 #熱田神社 #草薙の剣 #台与 #邪馬台国


熱田神宮(あつたじんぐう)は、名古屋市にあり、草薙の剣を祭っていることで有名です。

草薙剣は、元々は天叢雲剣でスサノオがヤマタノオロチを退治したときにヤマタノオロチの体内から出てきたとされています。


このブログでは、ヤマタノオロチは淀川のことで、退治とは、淀川に大規模な堤防である茨田堤のことだと書きました。参照:第412話:ヤマタノオロチは淀川~茨田堤2

そして、天叢雲剣(草薙剣)は、四條畷市蔀屋北遺跡で造られたものだと思います。


第491話:森製鉄遺跡~交野市河内磐船では、蔀屋北遺跡では最終の鉄器の加工が主たる鍛冶作業場であるとしています。蔀屋北遺跡は、秦氏の拠点地である寝屋川市太秦の一角です。参照:石の宝殿2~大阪府寝屋川市


天叢雲剣の「あまのむらくも」は、天村雲(人名)で天香語山命の子とされています。

天香語山は天香山(山)で、天香久山は香春岳(福岡県田川郡):第477話狂心渠(たわむれごころのみぞ)です。香春岳は鉱山で、台与(豊)と関連の深い場所です。香具山の「かぐ」は、かぐや姫の「かぐ」に通じます。

草薙剣=天叢雲剣=天香語山命=台与(豊)ということです。


寝屋川市太秦中町に、熱田神社があります。

熱田神宮、熱田神社の「熱田」とは、熊本県小国市にある中尾熱田神宮から来ています。


熊本県小国市「わいた温泉郷」の一つ「岳の湯温泉」にほど近い、中尾熱田神宮の境内に左右に池があり、その2カ所から清らかな水が湧き出しています。かつては農作物に恵みをもたらす「神の水」として、水田はもとより、淡水魚や貝類の養殖にも利用されています。温泉郷が近いためか、水は22~28度と極めて高いのが特徴です。


中尾熱田神宮は熱田大神を主祭神として祀る小国郷内でも屈指の歴史を誇る神社です。60年ごとの庚申(かのえさる)の年に猿田彦大神を祀る石の祠を建立する慣わしがあります。

「わいた温泉郷」には磐井が逃げたと伝わっています。磐井とは継体天皇の時代に、反乱を起こしたことで知られる人物です。継体天皇は台与です。


岩井の乱については、筑後国風土記には「官軍が急に襲撃してきた」となっており、古事記では「磐井が天皇の命に従わず無礼が多かったので殺した」とだけしか書かれていないなど、反乱を思わせる記述がないため、日本書紀の記述はかなり潤色されているとしてその全てを史実と見るのを疑問視する研究者もいます。参照:hidemaru3375.com/post/磐井の乱と台与


磐井(イワ)は台与です。継体天皇の話を創作する際に、ついでに創作された人物でしょう。そして、金銀錯嵌珠龍文鉄鏡(2)大原足尼命はトヨで書いたように石井(イワイ)源太夫は台与とおもわれます。


日田神社蒐集録によると石井神社(大分県日田市石井)の由来は、鞍形尾から石井源太夫が八幡宮に祈願して、剣を大空に向かって投げ、落ちたところを社地と定めたといいます。また、この剣を投げ社地を定めた石井源太夫は尾張国の蓬莱島に宮地が有り、そこに祭られる尾張国造小豊命(豊=台与)であるとも有ります。尾張国の熱田神宮、境内摂社の上知我麻神社(かみちかまじんじゃ)は通称源太夫社と呼ばれ、祭神は、先代旧事本紀に尾張国造と記される乎止與命(台与)です。


能の演目に「源太夫」があります。そこでは源太夫は熱田の地元神としてまた、いわば源太夫は八岐大蛇を切った素戔嗚尊の投影とされ描かれますが、源太夫を大原足尼命と置いた時に、その事績に矛盾は有りません。大原足尼命はトヨ です。


{参考文献}


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<蛇足の追記>

「岩」は台与(豊)のキーワードです。

・石井(イワイ)、健磐龍命(たけいわたつのみこと)神武西征~健磐龍命

・石井(イワ)源太夫などイワのつく人物は台与です。

・君が代ににある「千代に八千代に さざれいしの いわおとなりて」

「さざれ石」とは群雄割拠の日本(邪馬台国)で、「いわお」とは統一された日本(大和朝廷)のことです。台与(トヨ)日本の最初の大王(天皇)です。


※これまでの記事はこちらです。


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 


<目次>







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4 Comments

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秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
Nov 06
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秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
Nov 05
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河俣毘売(かままたびめ、かわばたびめ)は、綏靖天皇*の皇后です。川俣は大阪府東大阪市の地名です。〒577-0063 この河俣毘売が五十鈴姫(ホトタタライスケ依姫)で台与です。(後述予定)

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秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
Nov 05
Rated 5 out of 5 stars.

 系図には日本得魂命の次の世代に乙彦命(おとひこのみこと)、日女命(ひめのみこと)が記されます。その割注にそれぞれ亦名として、孝元天皇の和風諡号の彦国玖琉命(ひこくにくるのみこと)(大倭根子日子国玖琉命)、その兄弟の倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)を載せますので、その親の孝霊天皇が日本得魂命だと推測出来ます。


海部氏勘注系図の解説1 初代天皇(孝昭天皇)の世代 – 古代史考証 神武天皇と卑弥呼の時代 著者 佐藤洋太

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