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酒吞童子と茨木童子

更新日:10月31日

第460話  #酒吞童子 #茨木童子 #邪馬台国 #台与 #スサノオ


第458話:玖賀耳之御笠(クガミミ) では、陸耳御笠=ウツシコオ(内色許男命)スサノオ(津田の王は日子坐王(彦坐王)=台与によって大江山の鬼として退治されてしまいます。この大江山の鬼は、酒吞童子とも茨木童子とも言われています。


酒吞童子(しゅてんどうじ)は陸耳御笠(クガミミ)ではないでしょうか。酒吞童子の酒は天王山の頂上近くの京都府乙訓郡大山崎町にある自玉手祭来酒解神社(たまでより・まつりきたる・さかとけじんじゃ)通称;酒解神社の酒に通じます。大山祇と素戔嗚(スサノオ)を祭っています。大山祇=スサノオ=陸耳御笠です。


茨木童子(いばらきどうじ)は、平安時代に大江山を本拠に京都を荒らし回ったとされる鬼で、酒呑童子の最も重要な家来とも酒呑童子の親友だったともいわれています。とすると茨木童子は台与です。


酒吞童子は生まれた頃から歯が生え揃っていた、巨体であったなど周囲から恐れられとされているのは、ウツシコオ=猿田彦ですのでこの風貌は納得できます。参照:第380話:猿田彦は異国人(あたしくにのひと)


一方、茨木童子は、美男子で知られ、巷の娘たちから山ほど恋文を送られていたとされています。酒呑童子も多くの女性に言い寄られ、将来を案じた母親に弥彦神社に送られることになりました。なぜか酒吞童子もやはり弥彦神社(新潟県)に預けられていました。


弥彦神社の祭神は、天香語山命です。天香語山命は高倉下=大彦です。

第454話:大彦は台与!?? では、大彦=開化天皇=饒速日で、天香山命=天火明命=高倉下=台与ですとしました。天香語山命は大彦でもあり、高倉下でもあるわけです。

要するに酒吞童子と茨木童子は弥彦神社と関係があり、饒速日=ウツシコオ(内色許男命)スサノオ(津田の王と、台与=天香語山命も弥彦神社に大いに関係したということです。参照:第360話:彌彦神社~四拍手はハッタリ(2)


出生地には、摂津国(大阪府茨木市水尾)という説と、越後国(新潟県長岡市の軽井沢集落)という説があります。軽井沢周辺も安曇族と関連が深い土地です。宇都志日金拆命=ウツシコオ(内色許男命)スサノオ(津田の王穂高岳に降臨し、信濃国の安曇氏の祖となったともされています。参照:宇都志国玉神と宇都志日金拆命

弥彦神社には酒呑童子と茨木童子が相撲を取った場所があり、茨木童子を祀る祠があります。


茨木童子は酒呑童子と同じく越後出身との説があり、古志郡の山奥の軽井沢(新潟県長岡市軽井沢)「茨木」姓が多く、茨木姓の家では節分に豆をまかない習わしがあり、また家の屋根に破風*を作るとその家では不良が出るので作らないという言い伝えがあるといいます。

*茨木童子は破風を壊して逃げるという伝説があるため。


大阪府茨木市の伝承では、茨木童子は水尾村(現・茨木市)の生まれとされています。

茨木市には玉櫛姫を思わす玉櫛という地名や五十鈴姫(ホトタタライスケ依姫)思わす五十鈴という地名が並んであります。スサノオを思わす天王という地名もすぐそばにあることはこのブログでは何度も述べています。五十鈴姫は台与と思われます。


酒呑童子は、源頼光が鬼退治に行くこととなり、配下の頼光四天王(渡辺綱・坂田金時・碓井貞光・卜部季武)や友人の藤原保昌ら、総勢五十数名とともに大江山で退治されてしまいます。


酒呑童子と茨木童子には、様々な諸説があります。その諸説の中に、実は茨木童子は「男の鬼ではなく、女の鬼だった」という説があり、または酒呑童子の恋人だったという説も伝わっています。酒呑童子が殺されたときも、女ゆえに鬼とは見なされず殺されなかったのもその故だというのです。これも茨木童子が台与(女性)だったからでしょう。


*台与は饒速日(ニギハヤヒ)の娘で、ウツシコオ(内色許男命)スサノオ(津田の王の孫というのがこのブログでの見解です。時々、饒速日(ニギハヤヒ)=スサノオになったりしますので、さらに検証を重ねます。


※これまでの記事はこちらです。


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 


<目次>






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