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飯豊王女は台与(トヨ)なのか?

更新日:8月29日

第423話


飯豊皇女または飯豊王女(いいとよのひめみこ)、別名は、飯豊女王(いいとよのひめみこ)、飯豊王(いいとよのみこ)、飯豊郎女(いいとよのいらつめ)、青海皇女(あおみのひめみこ)、青海郎女(あおみのいらつめ)、忍海郎女(おしぬみのいらつめ)、、、

第22代清寧天皇の崩御後に一時政務を執ったとされ、飯豊天皇とも呼ばれます。


第22代清寧天皇と第23代顕宗天皇との間の期間、執政者だったと伝えられ、女帝の先駆的存在として注目されています。日本書紀によれば、執政期間は短くわずか10箇月余りです。記紀では天皇として認められていませんが、後世の史書である扶桑略記に「飯豊天皇廿四代女帝」、本朝皇胤紹運録に「飯豊天皇 忍海部女王是也」と記されるほか、先代旧事本紀大成経では「清貞天皇(せいていてんのう)」の諡号まであり、天皇の扱いとなっています。


後世の女帝のあり方から類推すると、男子皇族間の皇位継承争いの予兆があってそれを緩和ないし未然に防ぐ意図があったかとも思われています。魏志倭人伝では「新たに男王を立てたが、国中が不服で互いに殺しあった。当時千余人が殺された。また、卑弥呼の宗女、壱与(イヨ)、年十三、を立てて王と為し、国中が遂に治まった。張政たちは檄をもって壱与に教え諭した。」とありますので、飯豊皇女(台与?)が大王として即位するのにひと悶着あったと思われます。


顕宗天皇(ヲケ)、仁賢天皇(オケ)の父親(市辺押磐皇子)は権力争いで雄略天皇に殺された為、二人は播磨国に逃げて、馬、牛飼いの奴隷になって身を隠した。 宴の席で、兄弟は舞を踊り、履中天皇の孫である事を謡の文句で示し、子供の居なかった清寧天皇はこれを受けて、宮廷に上らせ、自分の皇太子と皇子にする。と記紀にありこの二人、顕宗天皇(ヲケ)は弘計尊(をけのみこと)、仁賢天皇(オケ)は億計尊(おけのみこと)の兄弟をかくまっていたのが、飯豊王(飯豊王女)だという説も有ります。


海部氏系図(勘注系図)では二人は、丹後(但馬)に来たと書かれています。但馬はかぐや姫とされる竹野姫(竹野媛:竹野比賣)の故郷だと思えわれます。竹野姫、丹波の大縣主:由碁理の娘であるとされています。hidemaru3375.com/post/かぐや姫は、台与(とよ)


386話~隅田八幡神社人物画像鏡:継体天皇はスサノオで述べた、隅田八幡神社人物画像鏡の銘文に見える日十大王の名がヲシ大王、続けて言及される男弟王がヲホド王と読める事から、前者を仁賢天皇の諱である大石命または大脚命に比定し、後者をに継体天皇比定する説があります。だとすると飯豊王女は継体天皇が即位する前の一時的なつなぎだった可能性も有ります。


福島県にある飯豊山の「飯豊」は「いいで」と読みます。この飯豊山については陸奥国風土記逸文に以下のような伝承が記録されています。

「白川郡。飯豊山。此の山は、豊岡姫命の忌庭(ゆにわ)なり。又、飯豊青尊(いいとよあおのみこと)、物部臣(もののべのおみ)をして、御幣(みてぐら)を奉らしめ賜ひき。故(かれ)、山の名と為す。古老曰へらく、昔、巻向珠城宮(まきむきのたまきのみや)に御宇(あめのしたしろしめしし)天皇の二十七年戊午年の秋、飢えて人民多く亡せき。故、宇惠々山と云ひき。後に名を改め豊田と云ひ、飯豊と云ふ。」

この中に出てくる飯豊青尊とは飯豊女王。豊岡姫命とは記紀にいう豊受比売神のこと、巻向珠城宮御宇天皇は垂仁天皇のことです。垂仁天皇はウツシコオ:内色許男命です。

豊受姫(豊受大神)は崇神天皇です。参照:hidemaru3375.com/post/豊受姫(豊受大神)は崇神天皇


「飢えて人民多く亡せき」とありますが、この時、飯豊女王が農地を救済したとすれば、8歳にして米作り又水路を開き、雨祈で、雨を降らせ、文化の興隆をなされた御人=ヤマトトモモソ姫=豊受姫のエピソードに通じます。飯豊女王はこれが魏志倭人伝のいうところのとよ(乎止与命・台与・臺與)なのかもしれません。


中国の歴史書である梁書:諸夷伝は台与の後に男王が立ち、並んで中国の爵命を受けたと記されています。台与は早々に仁賢天皇に大王の座を譲ったのかもしれません。


福島県にある飯豊山の「飯豊」は「いいで」と読みます。「いひとよ」は古語でフクロウであり、おそらくはフクロウの住む山という意味で「いひとよ山」といったのが後世に訛って「いいで山」になったといいいます。なお私が崇神天皇とする仁徳天皇はミミズクです。

仁徳天皇が誕生された日に、産屋に木菟(ツク *ミミズクのこと)が飛び込んできました。また、鷦鷯(サザキ・ミソサザイ *雀の一種で日本の野鳥で最小)

これを吉祥の証であるとして、天皇に「大鷦鷯皇子(オオサザキノミコ)」、宿禰の子に「木菟宿禰(ツクノスクネ)」とし、命名を交換したのです。ミミズクとフクロウはよく似ています。


仁徳天皇(ミミズク)=飯豊女王(フクロウ)=崇神天皇=菟道稚郎子=台与です。


注:台与は女性ですが、藤原不比等・記紀の作者は、日本の天皇家が「男系天皇」を継続してきたとしたいことから、「天皇家は万世一系」とするためにトヨ=豊受姫が13歳の少女ではまずいので男性として記紀には記載しています。


関連項目:第203話:堀江~仁徳天皇は崇神天皇!

    :第386話:継体天皇はスサノオ


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 

※これまでの記事はこちらです。


<目次>






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3 comentarios

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秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
28 ago
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余談ながら、嵯峨(嵐山)の法輪寺から南に下ると秦氏一族の氏神(大山咋神(おおやまくいのかみ)=松尾山の神)を祀る京都最古の神社松尾大社がある。大宝元年(701)、秦忌寸都理(はたのいみき、とり)が社殿を建立し、松尾山山頂の磐座(いわくら)から神霊を移したのが開基である。

 秦氏は酒の醸造技術ももたらした。中世以降秦氏に由来する醸造祖神として、杜氏など酒づくりに携わる人たちから敬われるようになった。

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秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
28 ago
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秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
27 ago
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<これまでウツシコオ(内色許男命)スサノオ(津田の王であることが判明した人物>


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