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坂上田村麻呂(3):鈴鹿御前

  • tootake
  • 10月21日
  • 読了時間: 7分

更新日:11月2日

第842話


鈴鹿峠は、三重県亀山市と滋賀県甲賀市の境に位置し、古代から東西を結ぶ交通の要衝でした。伊勢参りで旅人が東海道を通って伊勢神宮へ向かう際には、関宿から鈴鹿峠を越えて坂下宿へと進むルートが一般的でした。


東海道の難所として知られる鈴鹿峠は、箱根峠に次ぐ険しさで、江戸時代には参勤交代や伊勢参りの旅人が多く通行しました。


鈴鹿山脈のなかで最も低い位置にあるのがこの鈴鹿峠で、古くから畿内から東国への重要なルートでした。飛鳥時代には、亀山市の関地区に鈴鹿関が置かれ、以後これより東を関東と呼ぶようになりました。


盗賊の横行する場所としても名高く、昌泰元年(898年)には伊勢神宮への勅使一行が襲撃され、以後鈴鹿山の盗賊はたびたび史書に現れています。坂上田村麻呂による鬼神大嶽丸退治や、女盗賊立烏帽子(鈴鹿御前)の伝承が生まれのもこうした経緯があるからです。

峠をへだてて滋賀県側には土山の田村神社が、三重県側には坂下の片山神社があり、それぞれ田村麻呂や鈴鹿御前を祀り、室町時代・江戸時代を通じて東海道の旅人たちの守護神として崇敬されていました。


鈴鹿御前(すずかごぜん)は、伊勢国と近江国の国境にある鈴鹿山に住んでいたという伝承上の女神・天女です。鈴鹿姫・鈴鹿大明神・鈴鹿権現・鈴鹿神女などとも記されています。後世には鈴鹿山の盗賊立烏帽子(たてえぼし)とも同一視され、女盗賊・鬼・天の魔焰(第六天魔王もしくは第四天魔王の娘)ともされています。


鈴鹿御前の伝承は、室町時代以降の伝承はそのほとんどが田村語り並びに坂上田村麻呂伝説と深く関係し、平安時代の征夷大将軍としても高名な大納言坂上田村麻呂ないし彼をモデルとした伝承上の人物・坂上田村丸と夫婦となって娘の小りんにも恵まれるとされています。


鈴鹿御前は、鈴鹿山の神を鈴鹿姫と称して鈴鹿峠の東西や峠上に祀っていたものと考えられています。鈴鹿の地は斎王の群行が途中に設けた鈴鹿郡の頓宮が置かれ、豊かな水に恵まれていたことから斎宮が禊を行う鈴鹿禊の聖地であり、のちに巫覡の徒(修験山伏・陰陽師・巫女)が祓えをおこなった神聖な地となります。


鈴鹿頓宮垂水斎王頓宮跡は、滋賀県甲賀市土山町にあります。鈴鹿頓宮(すずかとんぐう)とは、斎王群行の途上で一時的に設けられた仮の宿泊施設で、鈴鹿郡内に位置する神聖な空間です。伊勢神宮に向かう斎王(天皇の代わりに神事を行う未婚の皇女)の群行に際して、鈴鹿郡に設けられた仮の行宮(宿泊所)です。群行は五泊六日で行われ、鈴鹿はその中間地点にあたります。


鈴鹿姫(鈴鹿御前)伝説と倭姫命の斎王的性格が重ねられ、鈴鹿頓宮は神話的な斎王の原型と結びつく象徴空間とも解釈されます。峠の神としての鈴鹿姫が、旅の守護者・禊の媒介者として機能していた可能性もあります。


歴史学者の山田雄司は、のちに斎王群行が鈴鹿峠を越えるようになると伝説的斎王とされた倭姫命*を鈴鹿姫とみなして祀るようになっていったものと推測しています。


鈴鹿峠には式内社の片山神社(鈴鹿大明神)が、西麓の土山には田村神社が祀られています。伊勢参宮名所図会の「鈴鹿山」には、鈴鹿峠の鏡岩を挟んで伊勢側に鈴鹿神社が、近江側に田村明神が描かれています。

鈴鹿大明神は道祖神*の性格を持っていたことが窺えます。片山神社付近では祭祀用の小皿も多く出土していることから、鈴鹿峠を往来する旅人によって旅の安全を祈願して手向けられた峠神祭祀の遺跡と推定されています。


鈴鹿峠の鏡石(鏡岩)は磐座*としての性格を持ち、京と丹波の境に位置する愛宕山の勝軍地蔵菩薩と同様に、田村将軍を将軍塚(将軍地蔵)とみなして祀ることで、鈴鹿権現と一対になった塞の神*信仰が古くから存在していた。この信仰が後に田村語りとして室町物語『鈴鹿の物語(田村の草子)』『立烏帽子』や奥浄瑠璃『田村三代記』で坂上田村丸を夫とし、共に高丸や大嶽丸など共に鬼神退治をする物語が編み出されたのです。


*道祖神 *塞の神

・第442話:双体道祖神では、「双体の道祖神は猿田彦とアメノウズメとされていますが、実は八衢比古(やちまたひこ)と八衢比売(やちまたひめ)という男女だそうです。辻の神として道俣が祀られ、やがて村や道の守り神とされ、中世になって道祖神となりました。」としています。八衢比古と八衢比売は台与とウツシコオのコンビです。

・第536話:塞ノ神と佐比の岡とおくどさんでは、「塞ノ神(さい)の神:障(さ)への神となり、外から侵入して来る邪霊を防ぎ止める神、峠・坂・辻・村境など、境界に祭られた神になっていきます。行路の安全をつかさどり、中国の「道祖」と結びつけて信仰されるようになり、塞ノ神は、道の神になります。

現在でも、塞ノ神のことをよく道祖神と表記します。台与(豊)が塞ノ神(佐比の神)だからこそ、製鉄の神、道の神、竈の神となっていったのです。」と書きました。


磐座(磐座)~長谷寺では、泊瀬(はせ)の地を補陀落山に見立て、小泊瀬の険しい崖に懸崖造りのお堂を建て、自然湧出に見立てた盤石に観音を安置しています。「磐石に立つ」ことが長谷観音にとっては大きな意味があるのです。磐座神社の磐座(いわくら)とは、古代より神として信仰されている巨大な岩のことです。磐(岩)は台与のキーワードです。

長谷信仰については、前回:坂上田村麻呂(2):東北での長谷信仰で書きました。


*倭姫命を邪馬台国女王の卑弥呼に比定する説があります。これは、倭姫命が神を祀る役目を負っていたことに由来します。倭姫命は、代崇神天皇の皇女豊鍬入姫命の跡を継ぎ、天照大神の御杖代(神に仕える者)であるとして大和国から伊賀・近江・美濃・尾張の諸国を経て伊勢の国に入り、神託により皇大神宮(伊勢神宮内宮)を創建したとされています。

日本書紀の年代に従えば、豊鍬入姫命の後を継いだ時は10歳以下となっています。


これらのことより、鈴鹿御前は台与のことだと思われます。

ちなみに伊勢国は水銀の産地として有名で、今昔物語では鈴鹿峠で水銀商人80余人が盗賊に襲われたが、日頃から恩を施していた蜂が飛んできて盗賊を刺したおかげで難を逃れたなどと記されています。水銀は、第63話:丹・朱を求めた天皇たち 第609話:鉱物資源と邪馬台国(7)空海と丹生都姫:水銀で書いたように、台与とウツシコオのコンビにとって貴重な国家資産です。なお「蜂」も台与のキーワードです。第540話: 広隆寺と聖徳太子立像では、「広隆寺は元々蜂岡寺と呼ばれていました。蜂がぶんぶん飛ぶ音がお経を読む音に似ていたためとする説もありますが、蜂は八で、聖徳太子=台与=神八耳の八ではないでしょうか。」と書いています。


これまでの記事はこちらです。


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。

※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。

 ~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。

記紀の登場人物をスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。

※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。

神武天皇と八咫烏、フツヌシとタケミカズチ、神功皇后 武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、

アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)

聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)

※台与(豊)は魏志倭人伝に書かれいる13歳で邪馬台国の大王(天皇)に即位した人物のことです。

※ウツシコオは魏志倭人伝に書かれている難升米のことです。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 


<目次>



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