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佐比の岡~兵庫県太子町

更新日:4 日前

第535話 #佐比の岡 #太子町 #邪馬台国 #五十鈴姫 #台与(豊)


大阪府交野市には本格的な古代の製鉄工場があったことはすでに述べました。


古墳時代後期に、岡山県北部で始まる製鉄操業に森遺跡の鍛冶技術が応用されています。

播磨風土記揖保の郡:佐比の岡の条(現在の播磨 太子町)には北河内にいた渡来の鍛冶工人が優秀な鉄鍛冶技術を有して、播磨と交流していたことを示す記事があり、この北河内がその後展開されて行く倭王権確立に大きな役割を果たした鉄の郷「和鉄の道」が通っていたと思われます。


播磨風土記の揖保の郡:佐比の岡の条には、吉備・播磨そして畿内の河内そして大和へと続く「鉄の道」は卑弥呼の邪馬台国=初期大和王権へと続く「日本誕生の道」であり、そこで大きな役割を演ずる物部氏だったとされています。


播磨風土記 揖保の郡 揖保の里の条に、佐比と名づけたわけは出雲の大神が神尾山におられた。この神は出雲の国の人でここを通り過ぎるものがあると十人のうち五人をとり殺し、五人のうち三人を殺した。そこで出雲の国の人達は佐比(鋤)を作ってこの岡に祭った。

そうなったわけは比古神(男神)が先に来たが、比売神(女神)が後になって来たので、この男神はここによく鎮まることができずに立ち去ってしまった。その後、河内国の茨田の郡の枚方の里の漢人がやってきて、この山の付近に住んでこれを敬い祭った。そこでどうやらわずかに御心をやわらげ静めることが出来た。この神がおられるので名づけて神尾山という。また 佐比を作って祭った所をすなわち佐比の岡とよぶ。とあります。


この比古神(男神)はスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)で、比売神(女神)は台与(豊)と思われます。


佐比の岡は、現在の播磨 太子町です。前号:斑鳩寺・稗田神社~兵庫県太子町では聖徳太子=台与について書きました。関東の人には姫路城の近くと言ったら分かりやすいでしょう。


前回播磨国風土記には「土地は中の上です。枚方と名づけたわけは、河内国茨田(まむた)郡枚方の里の漢人(あやひと:百済等からの渡来人)がやってきて、初めてこの村に住みました。そこで平方(枚方)の里といいます。と書きましたが、さらに播磨国風土記には、こんな記述もあります。

「太田と称するわけは、昔、呉の勝(スグリ)が韓の国から渡ってきて、はじめ紀伊の国(和歌山)の名草の郡の太田の村に着いた、その後、分かれて摂津の国の三島の賀美の太田の村に移ってきて、それが揖保の太田の村に移住して来た。これは元居た紀伊の国の太田をとって里の名とした。」


播磨の太田とは、前号で書いた斑鳩寺のある兵庫県太子町のことなのです。摂津の国の三島の賀美とは大阪府茨木です。茨木市には五十鈴という地名があります。〒567-0842

~第216話:五十鈴姫は鉄の神

五十鈴姫は神武天皇の皇后とされていますが、台与(豊)です。

第185話: 金屋子神は五十鈴姫 では金屋子神社(島根県能義郡広瀬町西比田)より西方約40kmに石見銀山があり、当地に佐毘売山神社(さひめやまじんじゃ)があり、この「佐毘売」は、金屋子神の別名ではないかと言われています。佐毘売は、五十鈴(イスケヨリヒメ)のことでしょう。「佐韋河(さいがわ)の上」にある五十鈴の家があったと書かれています。佐韋河は狭井川とされ、三輪山の麓を流れる川とされていますが、私は茨木市、摂津市を流れる安威川(あいがわ)だと思います。サイはsaiで、aiに音が通じます。大阪府茨木市には、五十鈴(〒567-0000)という地名があります。五十鈴姫の母とされる玉櫛姫の玉櫛(〒567-0895)という地名と並んで存在します。いさかわはisa川でsaiつまりサとイをひっくり返しただけです。


疫病の大流行により邪馬台国(ヤマト)は奈良県の桜井へと移動します。五十鈴姫は三輪山の麓、佐井川のほとりに住んだと言われています。五十鈴姫が生まれた茨木市の五十鈴〒567-0000 の付近には安威川(あいがわ:相川)が流れており、「さい川」と「あい川」は発音がよく似ています。奈良市内に卒川神社(いさかわ)があり、姫タタラ・イスケヨリ姫を祀っています。いさ(isa)はさい(sai)と読み変えが可能です。


狭井(さい)神社は、大神神社の御神体である三輪山への登拝口が境内にあります。

率川神社(いさがわ)は、奈良県奈良市本子守町にある神社です。

本殿中央に御子神(媛蹈韛五十鈴姫命)が祀られ、父母神(西に御父神・狭井大神、東に御母神・玉櫛姫命)が両脇によりそうような姿で鎮座しています。


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播磨風土記 揖保の郡 揖保の里の条に、佐比と名づけたわけは出雲の大神が神尾山におられた。この神は出雲の国の人でここを通り過ぎるものがあると十人のうち五人をとり殺し、五人のうち三人を殺した。そこで出雲の国の人達は佐比(鋤)を作ってこの岡に祭った。


・人を殺したという記述の意味は、かつてこの場所は、峠で通行に危険な場所であったということです。

・ここでいう出雲とは、三島、御牧(ミマキ=枚方・高槻)のことです。~第19話:投馬国は但馬、但馬は丹波、丹波は出雲

・佐比(さい)は鉄器のことです。岡山県北部で始まる製鉄操業のことです。

「さい」は、五十鈴姫(ホト・タタラ・イスケ依姫)のことで、五十鈴姫は台与(豊)です。


※これまでの記事はこちらです。


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 


<目次>






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3 Comments

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秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
4日前
Rated 5 out of 5 stars.

杖から衝立船戸神、帯から道長乳歯神、裳から時置師神、衣から和内良比能宇斯能神、袴から道股神、御冠から飽咋の宇斯能神、左手の腕輪から奥疎神の奥津那芸佐彦神、次に奥甲斐弁羅神、右手の腕輪から辺疎神の辺津那芸佐彦神、次に辺津甲斐弁羅神が生まれたとする。

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秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
5日前
Rated 5 out of 5 stars.

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