卑弥呼の残像:元伊勢(1)~吉志部神社(吹田市)
- tootake
- 4月16日
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更新日:6 日前
第654話 #卑弥呼の死の謎 #豊鋤入姫命
元伊勢(もといせ)とは、三重県伊勢市に鎮座する伊勢神宮(皇大神宮:内宮と豊受大神宮:外宮)が、伊勢に遷る以前に一時的に祀られたという伝承を持つ神社(場所)のことです。
伊勢神宮内宮の祭神・天照大御神は皇祖神であり、第10代崇神天皇の時代までは天皇と「同床共殿」だった伝えられています。それまで、天照大神は皇居内に祀られていたのですが、その状態を畏怖した崇神天皇が皇女・豊鋤入姫命にその神霊を託して倭国笠縫邑磯城の厳橿の本に「磯堅城の神籬」を立てたことに始まり、さらに理想的な鎮座地を求めて各地を転々とし、第11代垂仁天皇の第四皇女・倭姫命がこれを引き継いで、およそ90年をかけて現在の伊勢の地に遷座したとされています。
ところで、私は天照大神は魏志倭人伝にある卑弥呼と思っています。豊鋤入姫命は魏志倭人伝のいうところの台与です。元伊勢とは、天照大神=卑弥呼の魂を鎮めるための神社とすれば、なぜ90年もの間、各地を転々と移動しなくては、ならなかったのでしょうか。
卑弥呼は当時の人々について厄介者だったようにしか見えません。元伊勢神社を巡ることで、なぜ卑弥呼の魂が各地を彷徨されたかれたかを考えてみます。
吉志部神社(きしべじんじゃ)は、大阪府吹田市岸部北にある元伊勢神社の一つです。。
主祭神は天照皇大神、豊受大神、八幡大神、素盞嗚大神(祇園牛頭天王)、稲荷大神、春日大神、住吉大神、蛭子大神ですが、創建当初の神は天照大神だけでした。創建は・崇神天皇の御代とされています。
*崇神天皇は台与です。~第575話: 崇神天皇(第10代)は志理都比古
創建時のことは古すぎてほとんどわかっていませんが、この周辺(JR岸部駅)は吉志部の里と呼ばれ、古来から人の居住した地域であり、奈良時代に遡る瓦や須恵器を焼いた窯跡の遺跡・吉志部瓦窯跡(国指定史跡)が見つかっています。当初は大神宮と呼ばれており、こうして当社は朝鮮半島・新羅からの渡来人といわれる安部難波吉志一族によって代々にわたって守護神として崇敬されたといいます。
吉志部神社は社伝によれば崇神天皇の御代に大和の瑞籬より神を奉遷してこの地に祀ったのが創祀といわれています。大和の瑞籬とは磯城瑞籬宮(しきのみずかきのみや)は、日本書紀に記載されている崇神天皇の都のことです。このブログでは大和とは、奈良県の事ではなく、摂津市、茨木市、吹田市、高槻市の事としています。~第430話:倭(やまと)は高槻市、葛城は交野市~第447話:小楯姫は台与:小楯は枚方
私の生まれた三島郡三島町三宅の最寄り駅はJR(当時国鉄)千里丘で、その隣が岸部駅です。この付近には、玉櫛(=玉櫛姫)、天王(=素戔嗚)、穂積、春日、五十鈴(崇神天皇妃)など記紀で登場する人物の宝庫です。本当の奈良はここです。~第18話:本当の奈良
岸部駅北西の吉志部神社があります。吉志部神社の社家は「岸氏」です。~第196話:阿部(安部)氏~岸辺(吹田市)第181話:三宅(屯倉みやけ)~三島郡三島町三宅
当社の背後にある紫金山一帯は紫金山公園として整備されており、園内には吉志部古墳、吉志部瓦窯跡があります。
吉志部神社の古名である「太神宮社」は倭姫命が奉祀した近江国の大神宮社(滋賀県甲賀市土山町鮎河周辺)と同じです。京都の八坂神社にも太神宮社があり鳥居は伊勢神宮の鳥居と同じです。
<今回のまとめ>
・元伊勢は、天照大神=卑弥呼の死と関連していると思われる。
・天照大神=卑弥呼の魂は、当時(邪馬台国)の時代には厄介なものとされていたようだ。
・崇神天皇=豊鋤入姫命=倭姫命=台与は、卑弥呼の魂を当初は、JR岸部駅付近に祀った。
・豊鋤入姫命は、崇神天皇の皇女で、天照大神の宮外奉斎の伝承で知られる巫女的な女性とされています。豊鋤入姫命が台与であるというのは、私の妄想ではなく、名前の「豊(とよ)から、豊鍬入姫命を邪馬台国における卑弥呼宗女の台与(壹與/臺與)に比定する説が古くからあります。~豊鍬入姫命 - Wikipedia
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釈迦ヶ池遊猟事件
吉志部神社の裏にある釈迦ヶ池はカモの猟場でしたが、網を使った猟のみが許され、銃の使用は禁止されていました。1880年(明治13年)来日中だったプロイセン王国(ドイツ帝国)のハインリヒ王子(皇子)がお忍びでこの地にカモ猟に来て、この掟を知らずカモを銃で撃ったため、附近の住民に殴られる事件が起きました。
この問題は日本とドイツの外交問題に発展し、ヨーロッパの強国であったドイツに対し、明治維新から間もなくいまだ国力も未熟な当時の日本政府は低姿勢に徹し、事件を処理した警察官8名を免職、さらに事件関係者に謝罪させられました。ドイツ側への謝罪式は当社の境内で行われ、関係者一同を連れ礼服に身を固めた吹田村の村長が、王子の前で謝罪文を読み上げるというもので、参道には見物人が人だかりを作ったといいます。
※これまでの記事はこちらです。
※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、高槻、枚方、交野です。
※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけ!??としています。
記紀の登場人物をスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)、卑弥呼、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。
・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。
<目次>

神明神社 - Wikipedia
舞鶴市にある元伊勢の伝説が残る「笶原神社」 | なんかいいやん!舞鶴
https://tangonotimei.com/sora/sora4.html
皇大神宮 - Wikipedia
露天神社 - Wikipedia
<台与シリーズ>
hidemaru3375.com/post/天鈿売命(うずめ)は台与(豊)
https://www.hidemaru3375.com/post/かぐや姫は、台与(とよ)
https://www.hidemaru3375.com/post/磐井の乱と台与
https://www.hidemaru3375.com/post/豊受姫(豊受大神)は崇神天皇
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籠神社(このじんじゃ)は彦火明命
〒629-2262 京都府与謝郡与謝野町字岩滝 阿蘇