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卑弥呼の残像:元伊勢(2)~比沼麻奈為神社

  • tootake
  • 4月17日
  • 読了時間: 7分

更新日:4月18日

第655話 #羽衣伝説  #豊受大神は台与 #久次岳=くしふる岳


比沼麻奈為神社(ひぬまないじんじゃ)は、京都府京丹後市峰山町久次宮谷にあります。祭神は、五穀豊穣を願う最高神である豊受大神です。この比沼麻奈為神社も元伊勢のひとつですが、天照大神=卑弥呼は祀られていません。 丹波郡の「比治真名井神社」と比定されています。伊勢神宮の外宮の主祭神豊受姫大神はこの神社の分霊を祀ったものとされ、「元伊勢」とも称され、現存する社殿は伊勢神宮と同じく神明造です。


 丹波郡の比治真名井とは、伊勢神宮外宮の社伝(止由気宮儀式帳)では、雄略天皇の夢枕に天照大神が現れ、「自分一人では食事が安らかにできないので、丹波の比治の真奈井(ひじのまない)にいる御饌の神、等由気太神(とゆけおおかみ)を近くに呼び寄せなさい」と言われたので、外宮に祀るようになったとされています。即ち、等由気太神(豊受大神)は、元々は丹波の神ということになります。


主祭神の豊受大神は、現在の京丹後市峰山町五箇の磯砂山(いさなごさん)に天降り、神社由緒には、「遠き神代の昔、此の真名井原の地にて、田畑を耕し、米・麦・豆等の五穀を作り、また、蚕を飼って衣食の糧となる技を始められた」とあり、 丹後地方にはじめて稲作の指導をした神とされています。日本農業発祥の地とも伝えられ、峰山町五箇の苗代地区に現在も残る「月の輪田」などがその遺跡と伝わっています。*下記参照


伊勢神宮の外宮には、豊受大神が祀られていますが、元々はここから移転したものだという説があり、伊勢外宮の本地ともみなされています。比沼麻奈為神社神社の由緒では豊受信仰の起源は当神社であるとし、外宮な内宮の天照大神よりも上位の神とされています。


京丹後市に今も残る絹織物産業(丹後ちりめん)に関連する記述もあることから、当社が養蚕や絹織物*発祥にも所縁ある社であることがうかがえます。養蚕、絹織は当時の秦氏の専売特許です。~https://www.hidemaru3375.com/post/台与と秦氏


台与の背後には秦氏が付いていたからです。秦氏は潅漑用水・港湾の修築まで、農耕・土木・養蚕・機織・鉱山・治水・製銅・精錬・冶金・工芸・酒造・製塩・船運等の技術を持っていました。京都の伏見神社は、元々は秦氏の神を祭る神社でした。で渡来人であった秦氏の稲荷信仰をもとに、秦氏の勢力拡大に伴って伏見稲荷の信仰圏も拡大されていった」と日本民俗大辞典に書かれています伏見大社の稲荷神(宇迦之御魂神うかのみたま)も倭迹迹日百襲姫命(ヤマトトモモソ姫)=台与です。~饒速日(ニギハヤヒ)は台与①~稲作 (hidemaru3375.com)


丹後地方における羽衣伝承の発端とされる「比治山の真名井」は、久次岳を比治山とみる説もあり、比沼麻奈為神社はこの久次岳の山麓に鎮座しています。このため土地の者は久次岳を「真名井山」あるいは「真名井カ嶽」などと呼び親しんでいます。

久次岳は、もとは「咋石嶽(くひし・くひいし)」と呼ばれ、久次の地名は、咋石・久次(くし・くじ)が久次・口枳(くすき)となり、久次(ひさすぎ)、久次(ひさつぎ)と変化した可能性も指摘されています。この久次の地名について、神社由緒によれば、太古より豊受大神が稲作や養蚕など種々の農業技術を始めた尊い土地であるので、「久次比(奇霊:クシヒ)の里」と呼ばれていましたが、延喜年間の民部令によって「比」の一字を削除して「久次の里」となり、江戸時代になって訓読し「ひさつぎ」と呼ばれるようになったとし、豊受発祥の地であることを主張しています。

久次村は奇霊(くしひ)のクシをとり、諸国部内の郷里の名は二字を併用し必ず嘉名を取れという当時の民部式の指図通り、久次(くし)の縁起の良い二次を選んでその字音にあてはめたとされています。

くし~奇魂(クシタマ)は奇跡によって直接人に幸を与える働きであり、知識才略、学問、技術を表します。

※記紀では、くしふる岳は、天孫降臨の地とされています。天孫=台与ですので、この久次岳がくしふる岳だと私は思います。


但馬国風土記には、奈具社*の縁起として次のような話が掲載されています。

丹波郡比治里の比治山頂にある真奈井で天女8人が水浴をしていたが、うち1人が老夫婦に羽衣を隠されて天に帰れなくなり、しばらくその老夫婦の家に住み万病に効く酒を造って夫婦を富ましめたが、十余年後に家を追い出され、漂泊した末に奈具村に至りそこに鎮まった。この天女が豊宇賀能売命(とようかのめ:豊受大神)であるという。

奈具神社(なぐじんじゃ)は、京都府宮津市由良にある神社である。式内社で、丹後国加佐郡十一座の一社。


羽衣伝説は、近江など、他に各地にありますが、枚方市・交野市の羽衣伝説が、最も古いと思われます。枚方・交野は台与のホームタウン(我家:ワギヘ)です。

・天女は台与です。~第551話:羽衣伝説


・比沼麻奈為神社は、元伊勢とされるのに、天照大神=卑弥呼が祀られていないのは妙です。

・丹後、丹波、但馬は投馬国と思われ、ウツシコオ、台与と関連の深い地であることはこのブログで何度も述べています。

第443話: 孝昭天皇は台与:日原は目原 第445話: 伊加理姫


<まとめ>

・羽衣伝説は、枚方・交野が発祥と思われますので、豊受姫は枚方・交野から丹波へ行ったのです。スサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)の孫(天孫)である台与は、

邪馬台国(枚方・交野=高天原)から丹波へ天下ったのです。

・比沼麻奈為神社をはじめ各地の元伊勢では、豊鋤入姫命ではなく、豊受姫が祀られています。豊鋤入姫命=豊受姫=台与とするとより明確に元伊勢が分かりやすくなります。

 豊鋤入姫命が台与であるというのは、私の妄想ではなく、名前の「豊(とよ)から、豊鍬入姫命を邪馬台国における卑弥呼宗女の台与(壹與/臺與)に比定する説が古くからあります。~豊鍬入姫命 - Wikipedia

・丹後の人は、天照大神よりも台与を敬っています。天照大神よりも豊受姫の方が、位が高かった。卑弥呼より台与の方が権威があったことになります。

これは、豊受姫が農業を養蚕、織物などの産業を促進し、丹後(丹波・但馬)の民の生活を豊かにしたためです。ですから、いつのまにか豊受姫(台与)は、丹後(丹波・但馬)の出身であると伝説がつくられてしまったのでしょう。

・丹波では、日本でも最大級の遺跡が見つかっています。竹野川中流域に位置するこの地域には、奈具岡遺跡(京都府弥栄町黒部奈具)~桑田皇女と奈具遺跡


・比沼麻奈為神社のその他の祭神は、瓊瓊杵尊=台与、天児屋根命(あめのこやねのみこと)=スサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)、天太玉命(あめのふとだまのみこと)=スサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)です。



※これまでの記事はこちらです。


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、高槻、枚方、交野です。

記紀の登場人物をスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)、卑弥呼、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 


<目次>





 
 
 

2 Comments

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tootake
Apr 16
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高橋郷 元の字は高梯

丹後国風土記 残欠 現代語訳-人文研究見聞録

高橋と名付けられた所以は、天香語山命(アメノカゴヤマ)が倉部山の尾上に神庫を造営し、ここに種々の神宝を収め、長梯子を掛けて庫の料とした。故に高梯という。今もなお峯の頂上には神祠があり、そこは天蔵と称して天香語山命を祀る。


また、その山の入口に祠があり、それを祖母祠と称す。天道日女命(アメノミチヒメ)は老いた時に此地にやって来て、麻を績ぎ、蚕を養って、人民に製衣の道を教えた。故に山口に坐す御衣知祖母の祠という。

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tootake
Apr 16
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<台与シリーズ>

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