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台与の物語

第437話 #台与 #邪馬台国 #ヤマトトモモソ姫 #竹野姫


前回天孫降臨の13年後に卑弥呼が死に13歳で台与はが即位したと書きました。

とすれば、248年に卑弥呼は崩御していますから、台与はBC235年に生まれたことになります。生まれたのは但馬だと思います。hidemaru3375.com/post/かぐや姫は、台与(とよ)では、台与と思われる”かぐや姫”とされる竹野姫(竹野媛:竹野比賣)は、丹波の大縣主:由碁理の娘であるとされているからです。(古事記)

丹波の大縣主:由碁理は、建諸隅命はウツシコオ(内色許男命)スサノオ(津田の王です。竹野姫と同一人物と思われるじ日葉酢媛命(ひばすひめ)の父は丹波道主王です。


丹波大縣主=丹波道主王=ウツシコオ(内色許男命)スサノオはこの当時、孝霊天皇の宰相とで但馬の開発を任されていたと思います。比婆須比売(日葉酢媛命)は須田の砂鉄王国を受け継いだ女王という説があります。また亀岡盆地を開拓事業にも関わっていました。


そしてウツシコオ(内色許男命)スサノオ孝霊天皇にクーデターを起こしヤマト(邪馬台国)を乗っ取ります。参照:第373話:孝霊天皇クーデター事件


海部氏の系図である勘注系図では、孝霊天皇の時代に丹波国丹波郷にて宰(宰相)として奉仕していた彦天火明命一族(海部氏)=ウツシコオ一家は、その後、山城国久世郡水主村に移ったとされています。山城国久世郡水主村の現在の地名は、京都府城陽市水主宮馬場です。


水主村は、巨椋池のあるところ=ヤマト(邪馬台国)です。参照:第284話:邪馬台国は巨椋池

さらに台与は香川県に移ったと思われます。東かがわ市にある水主神社(みぬし)の社伝では、「倭迹迹日百襲姫命(ヤマトトモモソ姫)は8歳のとき今の水主の里宮内にお着きになり成人になるまでこの地に住まわれたとあります。倭迹々日百襲姫(やまととももそ姫)台与(トヨです。


東かがわ市にある水主神社社伝ではヤマトトモモソ姫=台与は7歳のとき倭国大乱を逃れるため、大和国黒田の盧戸(奈良県磯城郡田原本町黒田周辺)のを出立し、居を讃岐国水主に定めたのち成人まで住み給いて農業・水路・文化の興隆を成したとされています。


第435話:大宜都比売(おおげつひめ)は台与 で書いたように、台与は大宜都比売(おおげつひめ)となり、食物を掌る女神になりました。但馬や四国(伊予之二名島:いよのふたなのしま)で農地の開墾、開拓を行いヤマト(邪馬台国)の人々に食料を安定して供給することに成功しました。日本各地で稲穂がにぎにぎしく成熟するようになったのです。すなわち瓊瓊杵尊:ニニギは台与 です。参照:瓊瓊杵尊:ニニギは台与


ニニギ(瓊瓊杵尊)は大山祇神の娘であるコノハナサクヤ姫(木花開耶姫)を娶ったとされています。そして生まれた子が天火明命です。第420話で私は火明命は台与としています。参照:hidemaru3375.com/post/火明命は饒速日なのか??


海部氏系図(勘注系図)では火明命(ほあかり の みこと)は、尾張氏の祖とされています。火明命とわざわざ彦を付けているのは、火明命が女性であることを悟られないための、記紀の作者の思惑でしょう。乎止与命も尾張氏の祖です。乎止与命は台与です。参照:とよ(乎止与命・台与・臺與)


※台与は女性ですが、藤原不比等・記紀の作者は、日本の天皇家が「男系天皇」を継続してきたとしたいことから、「天皇家は万世一系」とするためにトヨ=豊受姫が13歳の少女ではまずいので男性として記紀には記載しています。


瓊瓊杵尊(ニニギのみこと)こそが万世一系の最初の人物とされています。


辛亥の変(継体・欽明朝の内乱)でヤマトの王家は分裂してしまいます。そこで中臣鎌足らが乙巳の変で権力を手にした藤原氏が、平和国家の思想として「天皇家は万世一系」を思いつき、藤原不比等は記紀を創作するに当たり辛亥の変(継体・欽明朝の内乱)を無かったことにしたのです。こうすれば皇位継承を巡っての戦いがなくなると思った(願った)のでしょう。参照:hidemaru3375.com/post/倭の五王と辛亥の変・乙巳の変


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 

※これまでの記事はこちらです。


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