大神神社を探る(5)~大直禰子神社
- tootake
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更新日:22 時間前
第642話 #太田田根子 #豊御気主命 #台与 #邪馬台国
大直禰子神社(おおたたねこじんじゃ)は、拝殿の半径200mより外側にあります。別名:若宮社(わかみやしゃ)で祭神は大直禰子(おおたたねこ:太田田根子)・少彦名命・活玉依姫命です。少彦名命については、前前回の大神神社を探る(3)~磐座神社で書きました。
大直禰子神社は元々は、神社ではなく、大輪寺(おおみわでら)という寺院でした。後に大御輪寺(だいごりんじ)に改められています。本尊は、十一面観音ですが、当初の本尊は薬師如来だったと推測されています。十一面観音については「活玉依姫命」の本地仏とされています。
活玉依姫命は、五十鈴姫の母親とされる玉櫛姫です。玉櫛姫は三島溝樴姫ともいい、三嶋溝杭命の娘です。三嶋溝杭命→玉櫛姫(活玉依姫命)→五十鈴姫=台与ということです。
崇神天皇のときに、疫病が大流行し、民の死亡するもの、半ば以上に及ぶほどでした。
大田田根子(おおたたねこ)を大物主神の祭主にすれば、天下太平になるというおつげがあり崇神天皇は、天下に告げて大田田根子を捜したところ、茅渟県の陶邑で大田田根子が発見されました。大田田根子を大物主大神の祭主にしたところ、疫病は収まり、国内も鎮まり、五穀が実って、百姓は賑わったと言います。
大田田根子は前回:大神神社を探る(4)~神坐日向神社で書いたように、建甕遺命(たけみかづち)の子とされています。
櫛御方命→飯肩巣見命→建甕遺命→意冨多々泥古(おおたたねこ;大直禰子;太田田根子)
前回では、神坐日向神社の祭神である櫛御方命、飯肩巣見命、建甕遺命は同一人物で台与です。としました。ということは意冨多々泥古(太田田根子)も台与であるということです。
地神本紀では、天日方櫛日方命→建飯勝命→建甕尻命→豊御気主命とされており、
古事記では、櫛御方命→飯肩巣見命→建甕遺命→太田田根子となっています。
~牧尾一彦著 「邪馬台国と神武天皇」p292
地神本紀と古事記の記述を対比させると、豊御気主命=太田田根子となります。
牧尾一彦氏は、豊御気主命=太田田根子は神武天皇であるとされておられます。
~P287~P312
ということは、豊御気主命=太田田根子=神武天皇=台与(豊)です。
ところで大直禰子神社の元である大輪寺:大御輪寺(だいごりんじ)に本尊は、十一面観音ですが、観音菩薩といえば、このブログでは、観音信仰と台与というシリーズ記事を書いたばかりです。
なぜか毎回 行基が登場していました。ひょっとして大輪寺(=大直禰子神社)を創建したのは行基では、、、と思ってしまいます。
<今回のまとめ>
・大直禰子神社の大直禰子は太田・田根子は台与です。
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太田は呉の勝(スグリ)のゆかりの地です。~太田市と遺跡 ~呉の勝
兵庫県太子町は聖徳太子=台与と関連の深い地ですがすぐそばに太田という地名があります。ここは揖保郡です。
太田と称するわけは、昔、呉の勝(スグリ)が韓の国から渡ってきて、はじめ紀伊の国(和歌山)の名草の郡の太田の村に着いた、その後、分かれて摂津の国の三島の賀美の太田の村に移ってきて、それが揖保の太田の村に移住して来た。これは元居た紀伊の国の太田をとって里の名とした。と書かれています。
倭姫命世記では、猿田彦神の裔宇治土公氏の祖は大田命と書かれており、大田命の祖として猿田彦命が架上されています。猿田彦はウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)です。~彦狭知の物語8~猿田彦
<大神神社シリーズ>
※これまでの記事はこちらです。
※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、高槻、枚方、交野です。
※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけ!??としています。
記紀の登場人物をスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)、卑弥呼、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。
・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。
<目次>

皇大神宮 - Wikipedia
五條天神社 (京都市) - Wikipedia
近年諏訪上社の神体山とされるが、もともと諏訪明神(建御名方神)の神体は諏訪氏出の大祝であり、歴史的に守屋山を神体とした記録はない。それどころか、山頂の石祠には御柱がなく、諏訪に背を向けている[9]。
ただし、宝治3年(1249年)に書かれたといわれる『諏訪信重解状』には、諏訪明神が守屋山の麓に降臨して、この地を治めていた守屋大臣(洩矢神)と覇権争いをした後、上社を構えたという伝承が書かれているため[10][11][12]、必ずしも上社とは全く関係がないとは言えない。
明神入諏神話の最古の記録は、宝治3年(1249年)に諏訪上社の大祝(おおほうり)の諏訪信重から鎌倉幕府に提出された『諏訪信重解状』である[2][3]。『解状』が語る伝承によると、天降りした諏訪明神は、守屋大臣(洩矢神)の領地を手に入れるために、藤の鎰(かぎ)[注釈 1]を持ち出し、鉄の鎰を手にした大臣と引き合ったところ、明神が勝ち、大臣を追討した[3][5][6]。
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<台与シリーズ>
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