大神神社を探る(8)~檜原神社
- tootake
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第645話 #桧原は目原 #笠縫邑は吹田市山田 #天日腹大科度美神は台与
檜原神社(ひばらじんじゃ)は、大神神社の拝殿の半径200mより外側にある摂社です。
檜原神社は、その創建由来や祭神をみると、大神神社との関係性は無いように思うとする研究者もいます。~檜原神社|三輪山を遥拝する元伊勢とも呼ばれる神社。三輪の大物主大神と檜原の天照大神の関係は? | 「いにしえの都」日本の神社・パワースポット巡礼
しかし関係性は大いにあります。檜原神社は元伊勢なのです。境内には崇神天照大神の祭祀を司った豊鍬入姫命も祀られています。豊鍬入姫命は台与(豊)です。
檜原神社は、初代元伊勢とされており、崇神天皇の時代、初めて皇祖神(天照大神)を皇宮の外で祀ったのがこの地といわれています。つまり崇神天皇が宮中に奉祀していた天照大神を移し、豊鍬入姫命に託して祀らせた場所=笠縫邑(かさぬいむら)がここであるという説があります。
笠縫邑は大嘗祭、豊明節会の起源に関係する土地との説もあります。倭姫命は天照大神を磯城の厳橿の本に祀ったとあり、厳橿は神霊の神木で、崇神朝に磯堅城の神籬を立てた。(崇神紀)。古語拾遺には「磯城の神籬」とあり、「磯城の厳橿の本」と「磯堅城の神籬」は同所とも考えられています。笠縫邑の比定地については、檜原神社(桜井市 三輪)、多神社(磯城郡 田原本町多)、笠縫神社(磯城郡田原本町秦荘、秦楽寺境内南東隅)、笠山荒神社(桜井市笠)、多神社摂社の姫皇子神社、志貴御県坐神社(桜井市金屋)、小夫天神社(桜井市小夫)、穴師坐兵主神社(桜井市穴師)、飛鳥坐神社(高市郡 明日香村飛鳥)、長谷山口坐神社(桜井市初瀬手力雄)、等々があります。
しかし、笠縫邑は大阪府吹田市山田です。第636話:大神木神社と卑弥呼~吹田市山田
では、第十代崇神天皇が宮中に祀られてあった皇大御神を倭の笠縫邑(かさぬいむら)に移し ここに(つまりこの大神木神社)に神*を神籬(ひもろぎ)に建て皇女の豊鋤入姫命(トヨスキイリヒメノミコト)を神の守りとして奉仕させとあります。*ここで言う神とは、天照大神=卑弥呼の事と思われます。と書きました。
この桧原神社は又日原社とも称していました。「檜原」は「日原」が変化したもので、江戸時代までは「日原神社」などと表記されていました。第443話:孝昭天皇は台与:日原は目原では、次のように書きました。
5代孝昭天皇の名前は観松彦香殖稲天皇(みまつひこかえしねのすめらみこと)です。
大山元氏によると、香殖稲の「香」は「天日」、「殖」は「腹」と同じ字であるとみなすと天日腹大科*という名前が出現します。*日腹=日原=桧原~天日腹大科=孝昭天皇=台与です。
京都府舞鶴市女布にある日原神社の祭神は、天日腹大科度美神・倉稻魂 という説と 日臣大神という説があります。日臣大神とは、大伴連の祖先、はじめは日臣命(ひのおみのみこと)、後に道臣命(みちのおみのみこと)と呼ばれています。道臣命は猿田彦=ウツシコオです。参照: 天道根命は道祖神=ウツシコオ 天御中主神:北斗:妙見
舞鶴市史には、日臣命は高魂命の裔として大伴氏の遠祖であると書かれています。高魂命とは高御産巣日神(たかみむすびのかみ:高木神)=ウツシコオ(内色許男命)のことです。
つまり、天日腹大科度美神・倉稻魂は台与、日臣大神はウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)で間違いないでしょう。
京都府舞鶴市女布の「女布(メフ)」は熊野郡久美浜町に同じ地名があり、式内社の売女(ヒメ)神社があり、更に竹野郡網野町にも同名の神社があり、ここは旧和田上野村字女布谷(メフタニ)です。この地方ではヒメフ・メブなどと呼称し、この売女(ヒメ)の神の系統は山陰道に点在しています。この辺りの地名は女(メ)であったことがうかがわれ、天日腹大科度美神は女性である台与で可能性が大です。丹後・丹波・但馬はウツシコオ(内色許男命)=スサノオの治める地域です。
女布がメブ・ミブ・ニフ・ニュウなどの日原神社は本来はメハラ神社であるはずです。
目原が、日原と書かれたため 「ひはら」となったようなのです。日は目の誤植です。
<まとめ>
・檜原神社の檜原は日原でさらに元々は目原であった。さらに女布(メフ)で姫のことである。姫は天日腹大科度美神は台与である。
・檜原神社に祀られている豊鍬入姫命も台与である。
・豊鍬入姫命に託して祀らせた場所=笠縫邑(かさぬいむら)は檜原神社(大神神社摂社ではなく大阪府吹田市山田にある大神木神社である。
<追記>
・孝昭天皇が初代天皇です。
記紀では、神武―綏靖―安寧―懿徳―孝昭―孝安―孝霊―孝元―開化―崇神天皇ですが、
古伝では、孝昭―孝安―孝霊―孝元―綏靖―安寧―懿徳―開化―崇神だと言います。
台与は卑弥呼の後を継いで即位したのですから、初代天皇(大王)は台与=孝昭天皇と言えます。
・天照大神若御魂神の若とは13歳で即位した台与のことです。
<大神神社シリーズ>
※これまでの記事はこちらです。
※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、高槻、枚方、交野です。
※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけ!??としています。
記紀の登場人物をスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)、卑弥呼、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。
・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。
<目次>

愛宕神社 - Wikipedia
慈恩寺について|本山 慈恩寺
玉列神社 (奈良県桜井市慈恩寺) - 神社巡遊録
仁明天皇 - Wikipedia 田口姫 日本根子天璽豊聡慧尊
鉢担ぎ姫、中将姫、江口の君
伏見神宝神社~狛龍が拝殿を護るパワースポット~ | とっておきの京都プロジェクト
伏見稲荷大社の千本鳥居を抜けていく途中の丘に鎮座。天照大御神を主祭として稲荷大神を配祠、十種の神宝を奉安。創祀 は平安期にさかのぼり、かつては稲荷山上に祀られていた。仁和年間(885~89)宇多天皇は、大神宝使を発遣するなど、皇室の信仰も篤かったが、政変などにより中世以降は廃れていった。1957年(昭和32)に再建される。社名の「神宝」は奉安の十種の神宝(沖津鏡、辺津鏡 、八握剣、生玉、死反玉、足玉、道反玉、蛇比礼、蜂比礼、品物比礼)をいい、物部氏の祖神、饒速日尊が天上よりもたらしたとされる。4/18神宝大祭鳴動神事、 7月土用中の日鎮魂大祭、11/3御火焚祭。
八坂町
〒572-0838 大阪府寝屋川市
<台与シリーズ>
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https://www.hidemaru3375.com/post/かぐや姫は、台与(とよ)
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衣通姫(そとおりひめ)は台与(豊) 雄略天皇は台与(豊)!
孝昭天皇は台与:日原は目原 飯豊王女は台与(トヨ)なのか?
金銀錯嵌珠龍文鉄鏡(2)大原足尼命はトヨ 大宜都比売(おおげつひめ)は台与
倭迹迹日百襲姫命(ヤマトトモモソ姫)はトヨ?? 神八耳命は台与(豊)
饒速日(ニギハヤヒ)は台与①~稲作 台与は饒速日②~交野市倉治
小楯姫は台与:小楯は枚方 四道将軍:日子坐王は台与!
少彦名大神(スクナヒコ)は台与! 大彦は台与!??
ウマシマジは台与! 阿蘇都媛は台与
沼河比売は小楯姫=台与 タケミカヅチは台与!!
ヤマトタケルは台与 瓊瓊杵尊:ニニギは台与
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とよ(乎止与命・台与・臺與) 台与の物語