第534話 #斑鳩寺 #稗田神社 #邪馬台国 #台与(豊)
斑鳩寺は兵庫県太子町にあります。推古天皇14年(606年)、聖徳太子が推古天皇から播磨国揖保郡の土地360町歩を賜り、大和国斑鳩宮から移住し当地を斑鳩荘(鵤荘)と命名、政所と寺院を建立したとされ、これが斑鳩寺の始まりと伝えっています。推古天皇*14年に聖徳太子が推古天皇に法華経を講義して、播磨国の水田を賜ったことは史実と認められ、その縁で当地に斑鳩寺が建てられたものと思われています。*推古天皇も台与です。~推古天皇は架空の天皇~交野市私市
この斑鳩寺の北に平方(ひらかた)という村がありました。大阪府枚方市から移住してきた人々が移り住んだとの言い伝えが残っています。斑鳩寺も大和国の斑鳩ではなく、枚方から移ってきたのではないかと思っています。播磨国風土記には「土地は中の上です。枚方と名づけたわけは、河内国茨田(まむた)郡枚方の里の漢人(あやひと:百済等からの渡来人)がやってきて、初めてこの村に住みました。そこで平方(枚方:ひらかた)の里といいます。
鵤とは鳥の名です。イカルという名の由来は鳴き声が「イカルコキー」と聞こえるからされています。枚方市はかつては伊賀(イカ)の郷と呼ばれていました。
イカは、第263話:中臣氏~中臣烏賊津(ナカトミノイカツ)のイカ、第7話:hidemaru3375.com/post/伊香色雄命(イカガシコオ)のイカです。
そしてこの斑鳩寺のすぐ近くに稗田(ひえだ)神社(兵庫県揖保郡太子町鵤)があります。
推古時代に草創されたものとされ、草創当時の祭神は天鈿女命、猿田彦命の二神でした。
第532話:稗田阿礼は藤原不比等?!で書いた賣太神社と同じで神社だと思われます。
現在は、阿礼姫を祭神としていますが、江戸時代には聖徳太子妃である膳大郎女(かしわで の ほききみのいらつめ)を祭っていたと言われていました。
・つまり、阿礼姫=天鈿女命=台与(豊)です。~hidemaru3375.com/post/天鈿売命(うずめ)は台与(豊)
・聖徳太子の后は膳大郎女=菟道貝蛸皇女(うじの・かい・たこのひめみこ)で第342話:聖徳太子は菟道稚郎子?!では書いたように、菟道は、宇治でウツシコオのウチ(内)で、聖徳太子=菟道稚郎子=台与です。
・この斑鳩寺、稗田神社のある地区は、飾磨郡(しかま)でした。しか(鹿)はスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)のキーワードです。~第388話:スサノオのキーワードは角と竹と、、
・平方(太子町大字佐用岡)には現在、大歳神社があります。大歳=饒速日で台与です。
第532話:稗田阿礼は藤原不比等?! では、稗田阿礼は不比等のペンネームと書きました。不比等は台与(豊)が本当の大和国の初代天皇であることを知っていたと思います。
◎仏教と台与の関係については、第464話:豊国法師:仏教伝来と台与で述べています。
※これまでの記事はこちらです。
※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
・ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。
・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。
<目次>
古代 淀川は枚方附近まで入江となっており大和に入るには哮ケ峰の麓を流れる天の川を遡りつつ、大和に至るのが至便であったと考えられます。
大和政権により新たに構築された鉄素材の流れは、博多湾から瀬戸内を通って関東までと、日本海を北上して北陸まで続く2ルートあつた。
瀬戸内海ルート上には現在、四国中央市の破魔殿遺跡、奈良県纏向遺跡、さらに関東では神奈県千代南原・吉添遺跡、千葉県沖塚遺跡、埼玉県山崎山遺跡、群馬県北村遣跡、日本海側では、島根県古志本郷遺跡、石川県一針B遺跡など古墳時代初頭の各地の拠点集落で羽口を用いた鉄器生産が開始されている。
そしてこれら拠点集落で製作された鉄器が周辺遺跡に分配されたと考えられる。森遺跡をはじめ北河内の古墳時代前期集落には纏向遺跡などの拠点集落の鍛冶工房で作られた鉄器が流通していたと考えられる。
造化三神・奇岩の笹山
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河内国茨田郡大枝村中村家文書
京都市西京区大枝
大枝神社
【延喜式神名帳】大井神社 山城国 乙訓郡鎮座 旧村社
稚児明神
【現社名】大枝神社
【住所】京都府京都市西京区大枝沓掛町7-52
康保4年(967)施行の『延喜式』には、神社の名前として『乙訓郡大井神社』と記載されている。
現在の氏神は、高美計(たかみけ)神である。この地の先住民である大枝氏の祭祀神といわれている。
しかし、はじめは聖徳太子の幼児の像が祀られていたところから、千児(ちご)明神と称していた。
現在、児子神社はこれより東方、大枝塚原町の地にある。
境内には、享保8年(1723)と記された石灯籠があり、江戸時代にはさかえた様がうかがわれる。
神紋は双葉葵である。
明治6年(1873)村社に公定される。現在、沓掛町の氏神として、人びとに親しまれている。
高霎(タカオカミ)は古事記と日本書紀で扱いが異なり、古事記ではクラオカミと同じ神とされていますが、日本書紀では火の神カグツチの血から生まれた水の女神として記されています。
古代の日本においては水を多く使用する稲作が非常に重要であった事から日本神話には多くの水の神がでてきますが、タカオカミは特に雨乞いの神としての側面が強い女神で、稲作の水田に用いられる川の水を司る神だと言われています。
日本神話において水の神といえば、雷神か龍神である事が多いのですが、タカオカミは女神である為、美しい女性に化身した龍神か、それらの神に奉仕する巫女が神格化されたものではないかと考えられています。
<台与シリーズ>
hidemaru3375.com/post/天鈿売命(うずめ)は台与(豊)
https://www.hidemaru3375.com/post/かぐや姫は、台与(とよ)
https://www.hidemaru3375.com/post/磐井の乱と台与
https://www.hidemaru3375.com/post/豊受姫(豊受大神)は崇神天皇
https://www.hidemaru3375.com/post/火明命は饒速日なのか??
https://www.hidemaru3375.com/post/豊鍬入姫命-日光と男体山・女峰山
hidemaru3375.com/post/台与と秦氏 敏達天皇は台与(豊)
衣通姫(そとおりひめ)は台与(豊) 雄略天皇は台与(豊)!
孝昭天皇は台与:日原は目原 飯豊王女は台与(トヨ)なのか?
金銀錯嵌珠龍文鉄鏡(2)大原足尼命はトヨ
倭迹迹日百襲姫命(ヤマトトモモソ姫)はトヨ??
饒速日(ニギハヤヒ)は台与①~稲作 台与は饒速日②~交野市倉治
小楯姫は台与:小楯は枚方 四道将軍:日子坐王は台与!
少彦名大神(スクナヒコ)は台与! 大彦は台与!??
ウマシマジは台与! 阿蘇都媛は台与
沼河比売は小楯姫=台与 タケミカヅチは台与!!
ヤマトタケルは台与 瓊瓊杵尊:ニニギは台与
継体天皇はトヨ(台与)??! 継体天皇は台与2~大々杼郷:楯原神社
継体天皇は台与3~田井(寝屋川市) 英彦山と台与
山部赤人は台与! 八幡神は台与!!
とよ(乎止与命・台与・臺與) 台与の物語