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熊野の神々は、、、

更新日:16 時間前

第543話 #熊野三山 #ゴトビキ岩 #上倉神社 #台与


熊野三山は熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社の三社からなり、本宮は崇神天皇代、速玉大社は景行天皇代、那智大社は孝昭天皇代に裸行(裸形)が開基したとされています。


神倉神社は市街地の西、権現山(神倉山)の南端にあります。現在は、熊野速玉大社の摂社となっていますが、実はこの神倉山が速玉大社の本宮です。

熊野速玉大社は、まだ社殿がない原始信仰、自然信仰時代の神倉山に、神々を祀ったことから、この神倉神社(元宮)に対して現在の速玉大社を「新宮」と呼ぶのです。

和歌山県の新宮市は、1933年(昭和8年)に東牟婁郡新宮町三輪崎町が合併してできたものです。


ゴトビキ岩を御神体とし、高倉下命を祭神としています。熊野の神が降臨した地とされ、絶壁の上の巨岩:ゴトビキ岩に、古代の人々は神が宿ると信じていました。この岩の根元を支える袈裟岩といわれる岩の周辺には経塚が発見されており、平安時代の経筒が多数発掘され、そのさらに下層からは銅鐸片や滑石製模造品が出土していることから、神倉神社の起源は磐座信仰から発したと考えられています。


神倉神社には、神話時代にさかのぼる古くからの伝承があり、古事記、日本書紀では、神倉山は、神武天皇が東征の際に登った天磐盾(あまのいわたて)の山であるといいます。このとき、天照大神の子孫の高倉下命が神武に神剣を奉げ、これを得た神武は、天照大神の遣わした八咫烏の道案内で軍を進め、熊野・大和を制圧したとされています。しかし、「熊野権現御垂迹縁起」には神剣と神倉山を結びつける記述はないことから、天磐盾を神倉山と結びつける所説は鎌倉時代以降に現れたものと考えられています。


神代の頃に、神倉山の磐座であるゴトビキ岩に熊野速玉大神と熊野夫須美大神が降り立ち、そこで祀られることとなっています。


熊野速玉大神が台与(豊)で、熊野夫須美大神がスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)です。

速玉とは、で書いたように饒速日(ニギハヤヒ)のことで饒速日は台与(豊)です。

高倉下命の倉下は倉治(大阪府交野市)の地名で、片野物部(台与)の本拠地です。


夫須美=ふすみはクスヒ・クスミ・ムスヒ(産霊)で高御産巣日神(タカミムスヒ)・神皇産霊神(カミムスヒ)のことでいずれもスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)のことです。


熊野坐大神は家都美御子大神(ケツミミコ)は、スサノオ(須佐之男命)とされていますが、第435話:大宜都比売(おおげつひめ)は台与

で書いたように、ケは食物を意味するケで、食物を掌る女神と考えられます。食物を掌る女神といえば豊受姫(豊受大神)です。豊受姫の受「ウケ」は食物のことで、食物・穀物を司る女神です。他にも食物神として、保食神(うけもち)、大気都比売神(おほげつひめ)、稲荷神(宇迦之御魂神)(うかのみたま)がいます。これらの神は同一の神でしょう。

またミケ=御食から三毛となり三毛入野が創作されたと思います。そして豊御毛沼命(とよみけぬのみこと)は神武天皇で台与(豊)です。https://www.hidemaru3375.com/post/豊受姫(豊受大神)は崇神天皇 神八井耳命は三毛入野


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<蛇足の追記>

・熊野本宮大社の八咫烏はスサノオです。~第293話: 八咫烏の由来 第274話:八咫烏もウツシコオです。

・ゴトビキ岩のゴトビキとはヒキガエルのことです。第513話:久延毘古(くえびこ)~山田のカカシヒキガエル多邇具久が久延毘古に寄り添っているのは、久延毘古=台与(豊)だからでしょう。

那智大社は孝昭天皇代に裸行(裸形上人)が開基したとされています。孝昭天皇は台与です。~孝昭天皇は台与:日原は目原 

裸形も台与でしょう。台与はアメノウズメでもあります。hidemaru3375.com/post/天鈿売命(うずめ)は台与(豊)


◎ゴトビキ岩=神倉神社の祭神は高倉下(タカ・クラジ)です。倉治(クラジ)私が台与の住まい(我家:ワギヘ)としている交野市の地名です。そこは饒速日(ニギハヤヒ)が舞い降りたとされる磐船神社があります。~饒速日(ニギハヤヒ)は台与①~稲作  台与は饒速日②~交野市倉治


*我家(ワギヘ)~つぎねふや 山代川(淀川)を 宮上り 我が上れば あをによし 奈良(茨木市)を過ぎ 小楯(オダテ:枚方市) 倭(高槻市)を過ぎ 我が見が欲しく国は 葛城高宮(交野市) 我家(ワギヘ)のあたり~第447話:小楯姫は台与:小楯は枚方



※これまでの記事はこちらです。


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、高槻、枚方、交野です。

記紀の登場人物をスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)、卑弥呼、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 

<目次>




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羽衣伝説

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秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
Dec 25, 2024
Rated 5 out of 5 stars.

台与シリーズ>

hidemaru3375.com/post/天鈿売命(うずめ)は台与(豊)

https://www.hidemaru3375.com/post/かぐや姫は、台与(とよ)

https://www.hidemaru3375.com/post/磐井の乱と台与

https://www.hidemaru3375.com/post/豊受姫(豊受大神)は崇神天皇

https://www.hidemaru3375.com/post/火明命は饒速日なのか??

https://www.hidemaru3375.com/post/豊鍬入姫命-日光と男体山・女峰山

hidemaru3375.com/post/台与と秦氏 敏達天皇は台与(豊) 

衣通姫(そとおりひめ)は台与(豊) 雄略天皇は台与(豊)!

孝昭天皇は台与:日原は目原  飯豊王女は台与(トヨ)なのか?

金銀錯嵌珠龍文鉄鏡(2)大原足尼命はトヨ    大宜都比売(おおげつひめ)は台与 

倭迹迹日百襲姫命(ヤマトトモモソ姫)はトヨ??

饒速日(ニギハヤヒ)は台与①~稲作  台与は饒速日②~交野市倉治

小楯姫は台与:小楯は枚方   四道将軍:日子坐王は台与! 

少彦名大神(スクナヒコ)は台与!  大彦は台与!??

ウマシマジは台与!    阿蘇都媛は台与

沼河比売は小楯姫=台与  タケミカヅチは台与!!

ヤマトタケルは台与  瓊瓊杵尊:ニニギは台与

継体天皇はトヨ(台与)??!  継体天皇は台与2~大々杼郷:楯原神社

継体天皇は台与3~田井(寝屋川市)  英彦山と台与

山部赤人は台与! 八幡神は台与!!

とよ(乎止与命・台与・臺與)  台与の物語

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