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稗田阿礼は藤原不比等?!

第532話  #賣太神社 #稗田阿礼 #邪馬台国 #古事記 #日本書紀


奈良県大和郡山市稗田町に賣太神社(めたじんじゃ)はあります。

古事記編纂に携わった稗田阿礼を主斎神(主祭神)とし、天鈿女命(アメノウズメ)、猿田彦命を副斎神(配祀神)として祀っています。


稗田阿礼命は学問の神、物語の神です。稗田阿礼(ひえだのあれ)は猿女君(さるめ)稗田氏の出です。賣太神社(めたじんじゃ)の「めた」とは猿女田(さるめた)のめたで、猿女は、アメノウズメのことです。アメノウズメは台与(豊)です。~idemaru3375.com/post/天鈿売命(うずめ)は台与(豊)


稗田(ひえだ)は天鈿女命を祖とする猿女君稗田氏の本拠地で、奈良時代には、稗田集落西辺に、平城京に通じる水陸両用の主要幹線道路である「下つ道」もあり、そこから多数の祭祀道具が発掘されたため、かつてこの神社は平城京の羅城門付近にあり、都に出入りする人々の穢れを払い、また、交通の安全を祈願する神事の場所でもあったことから、道祖神としての役割もあったとされています。双体道祖神は猿田彦(ウツシコオ)とアメノウズメのコンビです。~第442話:双体道祖神


稗田阿礼(ひえだのあれ)は、古事記序文には、聡明な記憶力を買われて、天武天皇の舎人(とねり)として仕えるようになった。天武天皇十一年の頃、二十八歳にして『古事記』編纂に携わった。古事記編纂事業は一度中断し、その後、和銅四年から五年にかけて完成したと書かれています。


この古事記序文は、多くの研究者から、後から付け足された偽書であるとされています。

「稗田」という氏族は、平安初期に編纂された氏族名鑑である新撰姓氏録に載っておらず実在の人物ではないと思われています。


稗田阿礼は藤原不比等だとされるのは、梅原猛(うめはらたけし)氏です。

古事記が完成した時代は、藤原不比等が実権を握っていた時代で、古事記の内容には、不等の意向が反映されていたと思われます。そもそも「不等」は「史(ふひと)」、つまり「歴史をつかさどるどる者」の意味です。「稗田阿礼」というは不比等のペンネームだと

いうのが梅原猛氏の説です。


私はこのブログで、台与は女性ですが、藤原不比等・記紀の作者は、日本の天皇家が「男系天皇」を継続してきたとしたいことから、「天皇家は万世一系」とするためにトヨ=豊受姫が13歳の少女ではまずいので男性として記紀には記載しているとしていました。


日本書紀の編纂のリーダーは舎人親王ですが、実際の責任者は不比等で、不比等は自ら携わった大宝律令の理念を日本書紀で歴史化したと言っています。


つまり、古事記、日本書紀は歴史書では藤原不比等の編纂ではなく創作なのです。

記紀の元資料には台与の事績ばかり書かれていたはずです。なぜなら魏志倭人伝では卑弥呼の後継者は台与つまり、スサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)、台与からヤマトは始まったはずだからです。


・初代に天皇(大王)は台与です。

 ~第320話:欠史八代はヤマト=三島


<これまで台与であることが判明した天皇>


======================================

<蛇足の追記>

藤原不比等=稗田阿礼→アメノウズメということは、不比等はアメノウズメを強く意識していたと思われます。アメノウズメは乳やホト(陰部)を露わに踊ったとしながらも、実は、アメノウズメ=台与(豊)を尊敬したのかもしれません。

 

※これまでの記事はこちらです。


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 


<目次>




賣太神社で毎年8月16日に行われる阿礼祭(あれいさい)は、稗田阿礼の遺徳を偲ぶ祭です。児童文学者の久留島武彦が、アンデルセンに匹敵する「話の神様」は稗田阿礼が最もふさわしいと、全国各地の童話家の協力を得て1930年(昭和5年)に始めたもので、稗田舞の奉納の後、地域の子供たちが阿礼様音頭、阿礼様祭子どもの歌を奉納する。童話の読み聞かせなども行われます。



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秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
Dec 14
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