第615話 #阿陀比売命 #アヒラ姫 #アタツ姫 #コノハナサクヤ姫
奈良県宇陀市は、日本有数の最大級の産地です。中央構造線に沿うように水銀鉱脈の中でも宇陀は日本有数の水銀の産地です。宇陀には兄宇迦斯(エウカシ)・弟宇迦斯(オトウカシ)の兄弟がいて神武天皇と戦ったとされていますが作り話でしょう。宇迦斯=宇梶(うかじ)はこの辺りの地名です。
私が、ウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)(=ウガヤフキアエズ)が生まれた地とする和歌山県名草(和歌山市)から紀ノ川を上流に向かうと五條市があります。宇陀市の少し手前です。そして奈良県五條市の東に阿太という地名があります。東阿太町〒637-0021、西阿太町〒637-0020
阿太には、阿陀比売(アダヒメ)神社(奈良県五條市原町)があります。
祭神は、阿陀比売命、火火出見命(ほほでみのみこと)です。阿陀比売神とは木花開耶比売命(コノハナサクヤヒメ)のこととされ、古事記では、神阿多都比売:アタツ姫、日本書紀では神吾田津姫:アタツ姫を本名としています。この阿陀比売神は、前回:鉱物資源と邪馬台国12~阿比良比売(鹿児島)で書いた阿比良比売(アヒラ姫)と同一人物です。
記紀には、神武天皇の最初の妻はアヒラ姫と書かれています。日向のアタ出身の阿比良比売と書かれています。前回でも書いたように、このブログでは、日向は大阪府守口市であることを明らかにしています。そして日向のアタとは奈良県五條市の阿太だとされるのは、上垣内憲一先生です。「謎の四世紀」p168
五條市は、紀ノ川下流域と上流の吉野川との交通の要衝です。この辺りには、アタ一族がおり、紀ノ川の水運業で当時は栄えていたと思われます。
アタとは、異国人のことです。猿田彦=ウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)は鼻が高く、背が高く、目の色が違う。これは西洋人の特徴です。崇神朝では異俗(あたしくにのひと)が多数日本にやってきたといいます。崇神朝では多く人が海外から来たそうです。第88話~猿田彦は異国人(あたしくにのひと)
ウガヤフキアエズ一族は、名草(和歌山市)からも近いこの阿太辺りを拠点地にしていたのでしょう。私は呉の勝一族は、徐福の子孫一族ではないかと思い始めています。徐福一族の中には猿田彦のような西洋人のような容姿の一族もいたはずです。
熊野(現在の三重県熊野市波田須町)周辺には徐福ノ宮があり、彼が持参したと伝わるすり鉢をご神体としています。 また、同地からは秦代の貨幣である秦半両が出土しています。
第304話:隼人族は呉の勝では、次のように書きました。
◎言語・文化については、隼人の言葉は他の地方と大きく異なっていたとされています。大宝律令では、「異人」と記されている。呉の勝は、大和(邪馬台国)の創設の時期に日本に定住したと思われ、一族の中には、日本語以外の言語をつかう者もいたはずです。
このアタ姫=ハニヤス姫が木花開耶姫(コノハナサクヤ姫)であることを第204話:阿陀比売神社~木花開耶姫3話で述べました。
コノハナノサクヤビメ - Wikipediaによりますと、コノハナサクヤ姫の別名は以下のようにたくさんあります。
木花咲弥姫命、神阿多都比売、神吾田鹿草津姫命、許乃波奈佐久夜比売命
木花咲夜姫、神阿多都比売、神吾田津姫、神吾田鹿葦津姫、鹿葦津姫、桜大刀自神、
身島姫神、酒解子神 等
・豊吾田津媛命と豊の付いている名前もありました。阿陀比売命=阿比良比売=阿太姫(アタ姫)も台与(豊)でしょう。
*菟の付く地名は、兎(うさぎ)=菟道(宇治)=ウツ=内=ウツシコオ(内色許男命)との関連をうかがわせます。
・阿多隼人(薩摩隼人)は、薩摩半島一帯に居住していた隼人で薩摩国設置以前はこの一帯はアタ(阿多又は吾田と表記される)と呼ばれていました。
おおすみ(大住)とは貴人の住む場所という意味です。
関連項目:タケハニヤスの乱2~阿太(奈良県五條市)
<鉱物と邪馬台国シリーズ>
鉄と邪馬台国(3)~信太(和泉市) 鉄:高師小僧
鉱物資源と邪馬台国(4)~玉川鉱山 宝石・貴石=玉、自然銅
※これまでの記事はこちらです。
※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、高槻、枚方、交野です。
※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけ!??としています。
記紀の登場人物をスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)、卑弥呼、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。
・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。
<目次>

あびこ観音寺 – わが国で一番古い観世音菩薩の仏閣
『古事記』では石長比売、『日本書紀』・『先代旧事本紀』では磐長姫と表記する。他に苔牟須売神とも称される。
という事実を挙げ、観音の女性化はインドではなく中国において起きたこと、中国での観音菩薩は男尊女卑の儒教倫理に悩む人たちがすがるものであったこと、例えば、世継ぎの男子を生めない妻は離縁されて当然という儒教(『礼記』の「嫁して三年、子なきは去る」)の男尊女卑の考えに苦しんだ女性たちは、観音に祈れば男児が授かるという現世利益的な観音信仰を広く受け入れたこと、を指摘している[14]。
たしかに、中国では「慈母観音」などという言葉から示されるように、俗に女性と見る向きが多い。また、例えば地蔵菩薩を観音と同じ大悲闡提の一対として見る場合が多く、地蔵が男性の僧侶形の像容であるのに対し、観音は女性的な顔立ちの像容も多いことからそのように見る場合が多い[15]。観音経では「婦女身得度者、即現婦女身而為説法」と、女性に対しては女性に変身して説法することもあるため、次第に性別は無いものとして捉えられるようになった。また後代に至ると観音を女性と見る傾向が多くなった。これは中国における観音信仰の一大聖地である普陀落山(浙江省・舟山群島)から東シナ海域や黄海にまで広まったことで、その航海安全を祈念する民俗信仰や道教の媽祖信仰などの女神と結び付いたためと考えられている[要出典]。
また、妙荘王の末女である妙善という女性が尼僧として出家、成道し、観音菩薩となったという説話が十二世紀頃に中国全土に流布し、『香山宝巻』の成立によって王女妙善説話が定着、美しい女性としての観音菩薩のイメージが定着したとする説もある[16
大依羅神社 - Wikipedia 観音菩薩を祀る主な寺院
丹比部 豊城入彦命 『新撰姓氏録』によれば上毛野氏の同族が紀伊国、摂津国、河内国にいる
允恭天皇5年
11月、百舌鳥耳原陵に葬られる
皇居
都の名は丹比柴籬宮(たじひのしばかきのみや)。大阪府松原市上田七丁目の柴籬神社が伝承地。
古事記に親しむ 丹比部について&「タヂヒ」という精霊
蝮水歯別王
<台与シリーズ>
hidemaru3375.com/post/天鈿売命(うずめ)は台与(豊)
https://www.hidemaru3375.com/post/かぐや姫は、台与(とよ)
https://www.hidemaru3375.com/post/磐井の乱と台与
https://www.hidemaru3375.com/post/豊受姫(豊受大神)は崇神天皇
https://www.hidemaru3375.com/post/火明命は饒速日なのか??
https://www.hidemaru3375.com/post/豊鍬入姫命-日光と男体山・女峰山
hidemaru3375.com/post/台与と秦氏 敏達天皇は台与(豊)
衣通姫(そとおりひめ)は台与(豊) 雄略天皇は台与(豊)!
孝昭天皇は台与:日原は目原 飯豊王女は台与(トヨ)なのか?
金銀錯嵌珠龍文鉄鏡(2)大原足尼命はトヨ 大宜都比売(おおげつひめ)は台与
倭迹迹日百襲姫命(ヤマトトモモソ姫)はトヨ?? 神八耳命は台与(豊)
饒速日(ニギハヤヒ)は台与①~稲作 台与は饒速日②~交野市倉治
小楯姫は台与:小楯は枚方 四道将軍:日子坐王は台与!
少彦名大神(スクナヒコ)は台与! 大彦は台与!??
ウマシマジは台与! 阿蘇都媛は台与
沼河比売は小楯姫=台与 タケミカヅチは台与!!
ヤマトタケルは台与 瓊瓊杵尊:ニニギは台与
継体天皇はトヨ(台与)??! 継体天皇は台与2~大々杼郷:楯原神社
継体天皇は台与3~田井(寝屋川市) 英彦山と台与
山部赤人は台与! 八幡神は台与!!
とよ(乎止与命・台与・臺與) 台与の物語