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仏教伝来異聞

更新日:57 分前

第539話  #鹿深臣 #仏教伝来 #台与(豊)


鹿深臣(カフカノオミ)という人物が、日本書紀:敏達天皇の条に登場しています。

この人物が、百済から弥勒像を持ち帰ったことが書かれています。


是歲、蘇我馬子宿禰、請其佛像二軀、乃遣鞍部村主司馬達等・池邊直氷田、使於四方訪覓修行者。於是、唯於播磨国得僧還俗者、名高麗惠便。大臣、乃以爲師、令度司馬達等女嶋、曰善信尼年十一歲、又度善信尼弟子二人。其一、漢人夜菩之女豊女名曰禪藏尼、其二、錦織壼之女石女名曰惠善尼。


この年(敏達13年)。蘇我馬子宿禰はその仏像を請願して、すぐに鞍部村主司馬達等・池辺直氷田を派遣して、四方(ヨモ=あちこち)に使者を送って、修行者を尋ね求めさせました。播磨国に僧還俗(ほふりかえし)の人を見つけました。名を高麗の恵便(エベン)といいます。大臣(馬子)はすぐに師としました。司馬達等の娘の嶋(シマ)を度(イエデ=出家)させました。善信尼といいます。年は11歳です。


また善信尼の弟子の二人を度(出家)させました。その一人は漢人の夜菩(ヤボ)の娘の豊女(トヨメ)、名前を禅藏尼といいます。その二人目は錦織壺の娘の石女(イシメ)名前を惠善尼といいます。


善信尼、豊女(禅藏尼)、石女(惠善尼)は、日本人で初めての出家者です。

この年、蘇我馬子が居宅の東に仏殿を作り、弥勒菩薩の石像を安置したとき、3人の尼はその大会(大きな法会)に呼ばれ、蘇我馬子は、敏達天皇には仏塔を建てて大会を催しました。


「鹿深」は後に「甲賀」の字があてられ、日本書紀には「百済より来ける」とあることから鹿深臣を渡来人とする説がありましたが、現在では百済へ赴任した後に倭へ帰還したとする解釈が有力とされています。甲賀氏は蘇我氏が進めた仏教興隆政策や外交交渉において重要な役割を担ったとされています。


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鹿深臣(カフカノオミ)とは、鹿がついていることからスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)と思われます。~第388話:スサノオのキーワードは角と竹と、、

・善信尼、女(禅藏尼)、石女(惠善尼)は一人の人物で台与(豊)と思います。

・敏達天皇、雄略天皇は台与(豊)です。

・司馬達等(しば だっと)は、氏姓は鞍部村主、日本に仏教が公に伝わる(仏教公伝)以前から仏教を信仰していたとされ、扶桑略記によると、継体天皇16年に渡来し、大和国高市郡坂田原に草堂を結び、本尊を安置し帰依礼拝したといいます。司馬 達等は、敏達天皇13年、播磨国で高麗からの渡来僧で還俗していた恵便に、娘の嶋(善信尼)とその弟子2人を出家させ、蘇我馬子が邸宅内に仏殿を建立し、請来した弥勒仏を安置した際には、仏舎利を献上し、また法会を開催したとされています。

この司馬達等もスサノオウツシコオ(内色許男命)でしょう。娘の嶋の嶋とは三島(茨木市)のことだと思われます。*継体天皇も台与(豊)です。


なお、鹿深臣が持ち帰った弥勒石像は蘇我馬子の仏殿に安置された後、排仏派の物部氏によって難波の堀江に捨てられました。仏教を拝んだせいで疫病が流行したと考えた物部守屋と中臣勝海が、天皇から仏法を断てという詔を得た。佐伯御室が馬子のもとに遣わされた。役人は、引き渡された善信尼の三衣(袈裟)を奪い、禁固して、海石榴市(つばいち、奈良県桜井市)の亭(駅舎)で鞭打ったとされています。


馬子、物部守屋、中臣勝海もスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)です。いったん導入した仏教ですが、疫病が大流行したために仏教の布教をいったん延期したということでしょう。~第17話:邪馬台国で疫病発生

この時、難波の堀江に捨てられたという仏像が、善光寺にある一光三尊阿弥陀如来(善光寺如来)です。~第344話:聖徳太子伝説~堀江と茨田堤


今回の話のポイントは、日本で初めての僧が11歳の善信尼だということです。なぜ11歳の少女が日本で初の仏教徒なのでしょう。それは、善信尼が13歳で大君(天皇)に即位した台与(豊)だったからでしょう。そして台与(豊)は聖徳太子です。

第342話:聖徳太子は菟道稚郎子?!  



※これまでの記事はこちらです。


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、高槻、枚方、交野です。

記紀の登場人物をスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)、卑弥呼、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 

<目次>






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秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
12時間前
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