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卑弥呼の残像:元伊勢(6)~竹野神社

  • tootake
  • 6 日前
  • 読了時間: 6分

更新日:5 日前

第659話 #かぐや姫は台与 #菊花紋 #天照大神は卑弥呼


竹野神社(たかのじんじゃ)は、京都府京丹後市丹後町宮にあります。通称、斎宮(いつきのみや)と呼ばれています。祭神は、天照大神です。


竹野神社は三方を塀に囲まれており、塀には全て白い二本線が入っています。天皇家にゆかりがないと白い線を入れることは出来ないとされており、天皇家にゆかりのある格式の高い神社は京丹後市の神社では竹野神社のみと言われています。


竹野神社は開化天皇の妃となった竹野媛*が晩年帰郷した際に「天照皇大神」を祀って創建したといわれています。竹野郡で唯一の大社で、拝殿には天皇家ゆかりを意味する「菊の御紋(菊花紋)」と皇室専用の家紋「桐花紋」が彫られています。隣には摂社の斎宮神社があり「竹野媛命」「日子坐王命」「建豊波豆羅和気命*」が祀られています。

*建波豆羅和気王は、第617話:大阪と邪馬台国:我孫子(あびこ)

で登場しています。

大依羅神社(大阪府大阪市住吉区)は依羅氏(よさみうじ)の奉斎とされています。依羅氏の出自は、摂津国住吉郡大羅郷(おおよさみごう:大阪府大阪市住吉区我孫子・庭井周辺)・河内国丹比郡依羅郷(よさみごう:大阪府松原市天美)付近を本拠とした古代氏族です。依羅氏は初め「依羅我孫(依網吾彦)」姓を称し、依羅氏を古い時期からヤマト王権と関係を持った氏族とする説があります。この依羅氏に関して、古事記では開化天皇(第9代)皇子の建波豆羅和気王を「依網之阿毘古」の祖と記しています。新撰姓氏録では開化天皇皇子の彦坐命を依羅宿禰の祖とし、日下部宿禰と同族とし、新撰姓氏録では、饒速日命*を氏祖とする神別の依羅連・物部依羅連を氏祖とするとの記載もあります。

波豆羅和気王は台与です。*饒速日(ニギハヤヒ)は台与①~稲作


<*竹野媛:竹野姫はかぐや姫>

第418話:hidemaru3375.com/post/かぐや姫は、台与(とよ)では、竹野姫は台与としています。そして、竹野姫=日葉酢媛命は五十鈴姫(ホトタタライスケ依姫)です。第216話:五十鈴姫は鉄の神です。~五十鈴姫は鉄の神

五十鈴姫は台与です。~観音菩薩と台与(6)~佐井寺

そして、竹野姫は竹取物語のかぐや姫です。このかぐや姫と同じ名前の姫が、古事記に迦具夜比売命(かぐやひめのみこと)として記載されています。


迦具夜比売命(かぐや姫)は、丹波道主王の娘の日葉酢姫であり、別の名が息長真若中比売(おきながまわかなかひめ)です。丹波道主王はウツシコオ(内色許男命)スサノオ(津田の王です。~第330話:投馬国とウツシコオ~丹波(但馬)


かぐや姫のネーミングは、垂仁天皇妃 迦具夜比売命から採り、その行動は神功皇后の三韓征伐からヒントを得たのではないかと宝賀寿男はその著書:「神功皇后と天日矛の伝承」書いておられます。

神功皇后が先祖ゆかりの異国の地たる韓土へ征伐に行くという伝承が竹取物語では天皇に求婚された姫が故地の「月」という異郷に行くことになっている。「かぐや姫」が竹の筒から生まれたことも、迦具夜比売命の曾祖母とされるのが「竹野媛」といい、丹波の大豪族丹波大県主「竹別(竹野別)」一族の出自にあったことにつながる。先に記した彼女の叔父「讃岐垂根王」が竹取の翁の名「讃岐造」に使用されていることも「かぐや姫」のモデル=迦具夜比売命の傍証になろう。

また、大筒木垂根王と大筒木真若王の名に見える「筒木」とは、山城国綴喜郡で、息長一族の後裔とする氏や隼人らが居住し、隼人は優れた竹細工の伝統技術で月神信仰を持っていた。


竹取物語が南山城、つまり隼人の居住地で生まれた可能性も指摘されています。このブログでも、第307話:大隅隼人は京都府京田辺市

とし山城国綴喜郡とかぐや姫の関係をすでに述べています。~かぐや姫と狗奴国


竹野神社(たかのじんじゃ)のある、京都府京丹後市丹後には丹後三大古墳の一つ「神明山古墳」があることからも、古代の近畿地方で相当な力を持っていたと思われます。「竹野媛」は当時丹波国を支配した丹波大県由碁理という豪族の娘で、朝廷が丹波国の勢力を抑えるため妃にとったと伝えられています。丹波大県由碁理=丹波道主=ウツシコオ(内色許男命)スサノオ(津田の王です。


丹波(但馬国=投馬国)とウツシコオの関係については、以下のブログで取り上げています


竹野神社の境内に、稲荷神社と佐田神社があります。稲荷神社は倉稲魂命を祀り、佐田神社は猿田彦命を祀っています。末社では、火産霊命を祀る秋葉社と、祖霊社があります。

倉稲魂命、火産霊命は台与です。佐田神=猿田彦命はウツシコオです。


<元伊勢シリーズ>


※これまでの記事はこちらです。


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、高槻、枚方、交野です。

※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。

 ~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。

記紀の登場人物をスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)、卑弥呼、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 


<目次>




====================================

<蛇足の追記>


竹野神社で「菊の御紋(菊花紋)」と皇室専用の家紋「桐花紋」が用いられているのは、

天照大神を祀っているからでしょう。しかし、他にも天照大神を祀る神社はありますが、

菊の御紋(菊花紋)を用いている神社はほとんどありません。ネットで検索してみると武蔵御嶽山神社が菊の紋を用いています。しかしこれは、幕末からのようです。

菊の御紋も当時の権力者によってなんとでもなる権威付のようです。

ただし御嶽山神社は、崇神天皇7年の創建とされた由緒のある神社です。天平8年(736年)に行基蔵王権現を勧請したといわれていますまたしても行基が登場してしまいた。行基はこのブログの「観音信仰と台与」に、なぜか毎回 行基が登場します。大神神社を探る(12)~成願稲荷神社(浄願寺)でも意図せず登場しました。






 
 
 

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tootake
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tootake
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<台与シリーズ>

hidemaru3375.com/post/天鈿売命(うずめ)は台与(豊)

https://www.hidemaru3375.com/post/かぐや姫は、台与(とよ)

https://www.hidemaru3375.com/post/磐井の乱と台与

https://www.hidemaru3375.com/post/豊受姫(豊受大神)は崇神天皇

https://www.hidemaru3375.com/post/火明命は饒速日なのか??

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hidemaru3375.com/post/台与と秦氏  敏達天皇は台与(豊) 

衣通姫(そとおりひめ)は台与(豊) 雄略天皇は台与(豊)!

孝昭天皇は台与:日原は目原  飯豊王女は台与(トヨ)なのか?

金銀錯嵌珠龍文鉄鏡(2)大原足尼命はトヨ    大宜都比売(おおげつひめ)は台与 

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