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大神神社を探る(10)~玉列神社(慈恩寺)

  • tootake
  • 4月9日
  • 読了時間: 5分

更新日:4月9日

第647話 #椿は朱 #猿田彦はスサノオ #台与は聖徳太子


玉列神社(たまつらじんじゃ)は、大神神社の拝殿の半径200mより外側にある摂社です。祭神は、玉列王子神・天照大御神・春日大神です。

玉列王子は大神神の裔神で、大神御子神とされています。

玉列神社は、初瀬谷に於ける最古の神社です。昔から玉椿大明神として地元氏子区民だけでなく、遠く京阪神、東海地方に至るまで厚い信仰を集め特に金色のお砂は招福のしるしとして尊ばれています。椿の木が多く、毎年3月に「椿まつり」が催されます。

す。万葉集では、つらつら椿と歌われていることから俗に玉椿明神と称し、十月二日の例祭を椿祭りといいます。

三諸は 人の守る山  本辺には馬酔木花咲き 末辺は椿花咲く うらぐはし山ぞ泣く子守る山 (三諸とは三輪山。椿の木が多かったようです。その三輪山の麓、山の辺の道の起点である海石榴市(つばいち)です。海石榴市は椿市とも書きます。善信尼が僧衣をはぎ取られ鞭で打たれたとされるのもこの地です。善信尼は=台与です。~第632話:観音菩薩と台与(5)~鶴林寺   


椿とは、朱のことだると、第367話:椿の記憶~猿田彦と朱では書きました。

全国で椿の名がついた地名は、水銀鉱山の近くや朱産地を思わせる地名(丹生、仁、赤、塩、入、碇、水金、白銀)の近くで、また運搬のためか海辺や川に近いことも共通しています。


椿からの連想で、この玉列神社は猿田彦=ウツシコオ(内色許男命)と関連のある神社だと思われます。他にも建津乃身(タケツノミ=ウツシコオ)の墓と伝わる椿井大塚山古墳(京都府木津川市)から、甕に入った10㎏の水銀朱が出土しています。~第599話:彦狭知の物語(11)~椿井大塚山古墳


当社鳥居の右側(東側)に隣接して融通念仏宗の寺院「慈恩寺」があります。

当地の地名の由来であると共に、江戸時代以前は当社の神宮寺ともされてきました。

南北朝の戦乱により荒廃し、現在は本瓦葺・平入寄棟造の阿弥陀堂が一宇残っているのみとなっています。


このブログでは、観音信仰と台与というシリーズ記事を書いたときに、台与の関与する地にはかならずと言ってよいほど、行基が登場するのです。



念のため調べてみると、玉列神社 に隣接する慈恩寺と同じ名前の寺院が、山形県寒河江市大字慈恩寺地籍にもありました。神亀元年(724年)僧行基(ぎょうき)この地が景勝の地であるのを見て京に帰り、聖武天皇に奏上。天平18年(746年)聖武天皇の勅命でインドの婆羅門僧正(ばらもんそうじょう)が開山したとされています。


ここでもやはり行基が登場しました。

ここの慈恩寺はかなり大きな寺院で、江戸時代には東北随一の御朱印地を有し、院坊の数は3ヵ院48坊もありました。


本尊は弥勒菩薩で、脇侍として地蔵菩薩、釈迦如来、不動明王と降三世明王を配する日本国内でも珍しい五尊形式です。創建当初は八幡大菩薩を鎮守神として祭っていたが、時代の変化とともに法相宗、真言宗、天台宗を取り入れ、現在は天台宗真言宗兼学の一山寺院として慈恩宗を称しています。


創建当初は八幡大菩薩を祀っていたということから、行基はこの地を選んだのでしょう。

八幡大菩薩は台与です。~第472話:八幡神は台与!!


そして、注目すべきは、この慈恩寺には、木造聖徳太子立像があることです。正和3年(1314)頃に作られたとされており、髪を左右に小さく結い、両手で香炉を持つ16歳の聖徳太子像です。父・用明天皇の病気平癒を祈った時の姿で、「聖徳太子孝養像」と呼ばれています。聖徳太子は台与です。


玉列神社は、奈良県桜井市慈恩寺(地名)にあります。


<まとめ>

・玉列神社は、玉椿大明神と言われていることから猿田彦=ウツシコオ(内色許男命)スサノオ(津田の王との関連があると思われます。三重県鈴鹿市にある椿大神社は猿田彦大本宮とも呼ばれ、猿田彦大神を祀る神社の総本社です。

・祭神の天照大御神は卑弥呼(ウツシコメ)で、春日大神はアメノコヤネはウツシコオ(内色許男命)スサノオ(津田の王ですので、玉列王子神は台与と思われます。~第349話:天児屋命はウツシコオ!!

・玉列王子は大神神の裔神で、大神御子神とあるのは、大神神=ウツシコオ(内色許男命)で、大神御子神=が台与ということです。 ・玉列神社は元々は慈恩寺で、山形県にある慈恩寺にの創建には行基が関連していることから、聖徳太子=台与との関連が濃厚です。


<大神神社シリーズ>


※これまでの記事はこちらです。


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、高槻、枚方、交野です。

記紀の登場人物をスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)、卑弥呼、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 


<目次>











 
 
 

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秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
09 de abr.
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秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
08 de abr.
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