大神神社を探る(6)~神御前神社
- tootake
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第643話 #ヤマトトモモソ姫 #箸墓 #波斯はペルシャ
神御前神社(かみのごぜんじんじゃ)は大神神社の拝殿の半径200mより外側にある摂社です。祭神は、倭迹迹日百襲姫命(ヤマトトモモソ姫)です。
第405話:倭迹迹日百襲姫命(ヤマトトモモソ姫)はトヨ??ですでに倭迹々日百襲姫命は台与としています。
香川県の東かがわ市にある水主神社(みぬし)の社伝では、倭迹迹日百襲姫命(ヤマトトモモソ姫)は、7歳のとき倭国大乱を逃れるため、大和国黒田の盧戸を出立し、8歳のとき水主の里宮内にお着きになり成人になるまでこの地に住まわれ、土地の人に弥生米をあたえて、米作り又水路を開き、雨祈で、雨を降らせ、文化の興隆をなされた御人といわれています。ヤマトトモモソ姫は、幼き頃より、神意を伺い、まじない、占い、知能の優れたお方といわれています。居を讃岐国水主に定めたのち成人まで住み給いて農業・水路・文化の興隆を成したとされています。また讃岐国一宮である田村神社(香川県高松市)でも倭迹迹日百襲姫命は、地域の水神と習合し、主祭神として扱われています
そして奈良県の桜井市にある箸墓古墳は倭迹迹日百襲姫命の墓だと思われています。土橋寛氏は、播磨国風土記の「土師弩美宿禰が関わる出雲国の墓づくり伝説」と類似していると、古墳を造成した集団である土師氏の墓、つまり土師墓から箸墓になったという説を唱えておられます。
土師氏も元々は秦氏であったのだと思います。秦氏は当時から卓越土木技術を持っています。箸墓のような巨大な墓はその見事な土木工事を見せつけています。そのような技術があったからこそ8歳の倭迹迹日百襲姫命は、農業・水路・文化の興隆を成し遂げることができたのです。台与(=仁徳天皇=崇神天皇)も卓越した土木技術で大阪の堀江の掘削、茨田堤や堀江を築いています。
「又秦人(はたひと)をえたちて茨田堤及(また)茨田三宅を作り、又丸邇池(わにのいけ)・依網池(よさみのいけ)を作り、難波の堀江を掘りて海に通し、又小椅*江(をばしのえ)を掘り、又墨江の津を定めたまひき」~hidemaru3375.com/post/台与と秦氏
*小椅は小橋で猪甘津橋=現在の鶴橋です。~大阪と邪馬台国:鶴橋・小橋
上垣内憲一先生は、箸墓古墳は五十鈴姫の墓ではないかと述べられています。
~「謎の四世紀」P186 五十鈴姫は台与です。~乙姫・弟姫・弟彦・乙彦
・猿田彦=ウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)は鼻が高く、背が高く、目の色が違う。これは西洋人の特徴です。崇神朝では異俗(あたしくにのひと)が多数日本にやってきたといいます。崇神朝では多く人が海外から来たそうです。第88話~異俗(あたしくにのひと)猿田彦は異国人(あたしくにのひと) (hidemaru3375.com)
猿田彦は台与(豊)の父親もしくは祖父です。
・聖徳太子の母が穴穂部間人(あなほべのはしひと)と書かれている事と、大いに関係があります。間人(はしひと)とは波斯人(はしひと)でペルシャ人のことではないかというわけです。太子が赤い髪の毛をしていたという伝承があります。~波斯人(はしひと)とはペルシャ人 その1 : 新次元の叡智を生きるーBlue dragon for New Earth
聖徳太子は台与(豊)です。~広隆寺と聖徳太子立像
・奈良時代に波斯清道(はしのきよみち)という名のペルシャ人が役人として働いていたという記録(木簡)が見つかっています。
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<付記>
丹波国丹波郷は私が投馬国とする地です。丹後国一宮は、籠神社 (この)神社(京都府宮津市大垣)の奥に、パワースポットとして有名な眞名井神社があります。眞名井原には豊受大神(とようけのおおかみ)をお祀りする匏宮(よさのみや)があります。天照大神は、豊受大神と共に吉佐宮(よさのみや)で4年間暮らしたとされています。
海部氏の系図である勘注系図では、孝霊天皇の時代に丹波国丹波郷にて宰(宰相)として奉仕していた彦天火明命一族(海部氏)は、その後、山城国久世郡水主村に移ったとされています。木津川にも近く、私が邪馬台国とする巨椋池の南端にあたります。宇治にもかなり近いというより、ウツシコオ(内色許男命)の拠点、内里=玉牆内國:うちつくにの一部で内(うち)=宇治(うじ)の一部です。
勘注系図を信じるなら豊受大神(=台与)は、丹波から山城に行きそこから大和国黒田に移り、倭迹迹日百襲姫命となって四国に渡ったことになります。
・丹波では日本でも、最大級の遺跡が見つかっています。竹野川中流域に位置するこの地域には、奈具岡遺跡(京都府弥栄町黒部奈具)~桑田皇女と奈具遺跡
・大和国黒田の付近には巨大な鍵・唐古遺跡あります。
・山城(巨椋池)の付近の高槻市には弥生時代の「クニ」の変遷を明らかにすることが可能な大規模集落である安満遺跡(あまいせき)があります。
関連項目:箸墓古墳は大市(マシタ姫)の墓
<大神神社シリーズ>
※これまでの記事はこちらです。
※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、高槻、枚方、交野です。
※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけ!??としています。
記紀の登場人物をスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)、卑弥呼、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。
・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。
<目次>

玉列神社
『万葉集』につらつら椿と歌われていることから俗に玉椿明神と称し、十月二日の例祭を椿祭りという。
<台与シリーズ>
hidemaru3375.com/post/天鈿売命(うずめ)は台与(豊)
https://www.hidemaru3375.com/post/かぐや姫は、台与(とよ)
https://www.hidemaru3375.com/post/磐井の乱と台与
https://www.hidemaru3375.com/post/豊受姫(豊受大神)は崇神天皇
https://www.hidemaru3375.com/post/火明命は饒速日なのか??
https://www.hidemaru3375.com/post/豊鍬入姫命-日光と男体山・女峰山
hidemaru3375.com/post/台与と秦氏 敏達天皇は台与(豊)
衣通姫(そとおりひめ)は台与(豊) 雄略天皇は台与(豊)!
孝昭天皇は台与:日原は目原 飯豊王女は台与(トヨ)なのか?
金銀錯嵌珠龍文鉄鏡(2)大原足尼命はトヨ 大宜都比売(おおげつひめ)は台与
倭迹迹日百襲姫命(ヤマトトモモソ姫)はトヨ?? 神八耳命は台与(豊)
饒速日(ニギハヤヒ)は台与①~稲作 台与は饒速日②~交野市倉治
小楯姫は台与:小楯は枚方 四道将軍:日子坐王は台与!
少彦名大神(スクナヒコ)は台与! 大彦は台与!??
ウマシマジは台与! 阿蘇都媛は台与
沼河比売は小楯姫=台与 タケミカヅチは台与!!
ヤマトタケルは台与 瓊瓊杵尊:ニニギは台与
継体天皇はトヨ(台与)??! 継体天皇は台与2~大々杼郷:楯原神社
継体天皇は台与3~田井(寝屋川市) 英彦山と台与
山部赤人は台与! 八幡神は台与!!
とよ(乎止与命・台与・臺與) 台与の物語