第620話 #諏訪神社 #タケミナカタ #粟井神社
大阪市城東区諏訪2丁目に諏訪神社があります。祭神は、長野県の諏訪大社と同じで建御名方刀美命(たけみなかたとみのみこと)・八坂刀売命(やさかとめのみこと)です。
※諏方講之式では「下宮亦八坂姫之云豊姫神」とあり、豊姫は八坂刀売神と比定されています。高島藩書上帳にも、下社の女神に関して「又名高知尾豊姫命」とあります。
・豊姫は台与(豊)です。~八坂刀売神
長野県にある諏訪大社の、全国に5千ある分社のひとつとされていまが、創建の年代かなり古く延喜元年(901年)、菅原道真*が筑紫への左遷される時に当社に立ち寄り休憩したと伝えられていますから、それ以前からこの地にあったと思われます。
徳島県名西郡石井町浦庄字諏訪に多祁御奈刀弥神社(たけみなとみじんじゃ)があり、長野県の南方刀美神社(諏訪大社)は、記紀の成立後には阿波国の名方郡諏訪村(高足:タカシ郷)から移遷勧請されたことが、この神社の記録に遺っています。
*タケミナカタは、建御名方刀美命・多祁御奈刀弥・南方刀美と表記されます。
大阪市区諏訪は大阪城の近くです。城東とは大阪城の東ということで、最寄り駅でいえば、JR学研都市線の放出(はなてん)です。第496話:河俣毘売(かわまたびめ)~放出(はなてん) では、次のように書いています。
古文書などには「はなちと」「はなちで」「はなちでん」「はなつて」などと記されており、古来、このあたりは寝屋川と旧大和川にはさまれた低湿地で、諸河川が流入して大湖沼となり、湖沼の水はここから西流して淀川に合流していました。大和川がよく氾濫したので、当地に樋を掘り、水を放出した、つまり大湖沼の水の放出口であったことからこの地名になったとの説があります。
さらに、昔は「はなてん」と読まずに、「はなちでん」から「はなちで」と称していました。当地は古代から中世にかけて、河内湖からの湖水が大和川や寝屋川の流れと合流して淀川(現在の大川)に注ぐあたりに位置し、仁徳天皇*の頃にも旧大和川の氾濫が多かったことから、この地に樋を作りその水を調節して水を「放」ち「出」したところから、その名が起こったともいわれています。*仁徳天皇=崇神天皇=台与です。~第203話:堀江~仁徳天皇は崇神天皇!
大阪市城東区諏訪にある諏訪神社は仁徳天皇=崇神天皇=台与が堀江の掘削工事をした時の拠点地だと思われます。大阪城は上町台地の上にあります。邪馬台国の頃は上町台地が半島として河内湖に突き出ていました。堀江は上町台地を掘削して河内湖と大阪湾を繋げる工事でした。
東区諏訪にある諏訪神社は、堀江の掘削工事の拠点地であったと思われます。
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阿波国と言えば安房忌部氏の祖神は天日鷲命 です。天日鷲命はウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)です。第395話:天日鷲命は、、、
・和名類聚抄では、紀伊国名草郡に忌部郷(いんべ)が見え、和歌山県和歌山市鳴神の鳴神社付近のこととされています。祖神は彦狭知命(さちひこ)です。~彦狭知(ヒコサチ)の物語2~珍彦(ウズヒコ)
・長野県の南方刀美神社(諏訪大社)は、記紀の成立後には阿波国の名方郡諏訪村(高足:タカシ郷)から移遷勧請されたということは、記紀にあるタケミナカタとタケミカヅチの争いは作り話で、タケミナカタが長野県の諏訪に落ち延びたというのも作り話ということになります。平成6年に、多祁御奈刀弥神社の総代全員が長野県諏訪大社へお参りに行き、本家は私の方の神社であるとのお話をしたところ、大社の古文書にも祭神は西方より来るとあり、諏訪大社の関係者は大勢貸し切りバスに乗り、はるばる徳島県名西郡石井町浦庄字諏訪にある諏訪神社を参拝されたそうです。~「多祁御奈刀弥神社由来」
*菅原道真(天神)は、野見宿禰の子孫です。そして野見宿禰はスサノオは天手力男神です。~第401話:犬養氏:スサノオは天手力男神=野見宿禰
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<付記>
・香川県観音寺市粟井町に粟井神社があり、祭神は天太玉命です。讃岐国苅田郡(後の豊田郡、次いで三豊郡)の式内社(名神大社)です。
讃岐忌部氏がこの地を開墾した際、氏神の天太玉命を祭ったのが始まりと伝えられています。「粟井」の由来は阿波国・安房国の「アハ居=あわい」とされています。阿波忌部社伝に、天日鷲命三十一代武持の二男久名なるものゝ時当所に奉遷せりと記述がり、豊ヶ岡に御造営の上天太玉命、月読命、保食命の三神を勧請せり時に朱鳥元年(686)是氏神始也。」とあります。
第611話:鉱物資源と邪馬台国(9)天太玉命:水銀朱では、四国(徳島県鳴門市)にある萩原一号・二号墳(3世紀)と奈良県にあるホケノ山古墳(4世紀)の類似していることから、四国からの天太玉一族が近畿に移動してきたことを述べました。
・天太玉命は、ウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)です。
続日本紀に「承和9年(842)粟井神名神に預かる」と記され平安期初頭では既に名神に列するほどの名社ゆえに讃岐最古の神社と推測されています。かつては刈田大明神と称し、苅田郡(刈田郡、神田郡とも呼称)の由来となったといいます。苅田については、前回:大阪と邪馬台国:苅田(かりた) で書いたばかりです。
※これまでの記事はこちらです。
※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、高槻、枚方、交野です。
※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけ!??としています。
記紀の登場人物をスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)、卑弥呼、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。
・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。
<目次>
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阿加流比売神は下照姫
天之日矛と阿加流比売神
はじまりの碑とは? https://himejimajinja.wixsite.com/himejimajinja/blank-13
https://www.city.osaka.lg.jp/asahi/page/0000000379.html
「日の出ずる東部」を意味するとともに、文字通り「旭日昇天」の勢いで将来の発展が約束されるというところから名付けられました。
〒535-0001 大阪府大阪市旭区
大隅神社 (大阪市) - Wikipedia
雀部(さざきべ)氏: 「雀部」の名字の由来
・ 武内宿禰の後裔氏族の一つで、仁徳天皇の名代の雀部の伴造の氏族。
雀部氏には神八井耳命の後裔を称する雀部臣が
大桐 - Wikipedia
西淀川に「島」の町名が多い訳 佃・大和田の由来と空襲 | 大阪府保険医協会
https://note.com/6megapixelman/n/n6b659158e66a?sub_rt=share_b
だんじりが他の祭りの山車にはないスピードで曳行するようになったのは戦後からです。道路の舗装が行われたことや、鉄製の軸が使われるようになったことにより、高速での移動が可能になりました。
<台与シリーズ>
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小楯姫は台与:小楯は枚方 四道将軍:日子坐王は台与!
少彦名大神(スクナヒコ)は台与! 大彦は台与!??
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沼河比売は小楯姫=台与 タケミカヅチは台与!!
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継体天皇はトヨ(台与)??! 継体天皇は台与2~大々杼郷:楯原神社
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