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我孫子(あびこ)~大阪市住吉区

tootake

第617話 #安孫子 #大聖観音寺 #大依羅神社


大阪に我孫子という地名があります。私の孫ということでしょうか。孫といえば、天孫降臨、天孫とは邇邇芸命(ニニギ)つまり台与のことではないかと思って調べてみました。


大聖観音寺(だいしょうかんのんじ)は、大阪市住吉区我孫子にある観音宗の総本山の寺院です。山号は吾彦山(あびこ)。本尊は聖観音菩薩。日本最古の観音菩薩の霊場だとされ、通称あびこ観音。西門付近の石柱は吾彦観音寺の表記となっています。「あびこ」の名は、この地の豪族、依網吾彦(よさみのあびこ)に由来するといわれています。


中世以来、当寺は大依羅神社(おおよさみ)の神宮寺となっていましたが、明治になると神仏分離によって分離されました。


大依羅神社(大阪府大阪市住吉区)は依羅氏(よさみうじ)の奉斎とされています。依羅氏の出自は、摂津国住吉郡大羅郷(おおよさみごう:大阪府大阪市住吉区我孫子・庭井周辺)・河内国丹比郡依羅郷(よさみごう:大阪府松原市天美)付近を本拠とした古代氏族です。


依羅氏は初め「依羅我孫(依網吾彦)」姓を称し、依羅氏を古い時期からヤマト王権と関係を持った氏族とする説があります。この依羅氏に関して、古事記では開化天皇(第9代)皇子の建波豆羅和気王を「依網之阿毘古」の祖と記しています。新撰姓氏録では開化天皇皇子の彦坐命を依羅宿禰の祖とし、日下部宿禰と同族とし、新撰姓氏録では、饒速日命*を氏祖とする神別の依羅連・物部依羅連を氏祖とするとの記載もあります。


大依羅神社の社名「大依羅神」とは、元来はこの依網(依羅)の地域神として祀られたものとされています。この依網地域に関して、古く日本書紀には「依網池」を造るとあります。この依網池は、王権により農地開拓のため築造された大規模な溜池でしが、宝永元年(1704年)に大和川付け替え工事により大半が消滅してしまいました。


第203話:堀江~仁徳天皇は崇神天皇!では、次のように書きました。

古事記では、仁徳天皇の御世に、秦人を役(えだ)ちて茨田堤また茨田三宅を作り、また丸邇池(わこのいけ)依網(よさみ)を作り、また難波の堀江を掘りて海に通はし、、、、、」また、日本書紀では「崇神天皇 即位62年、灌漑事業を行って依網(よさみ)などを開き大いに農業の便を図ったと伝えられる。」と書いてあります。このことにより仁徳天皇は、崇神天皇と同一人物と思われます。


このブログではすでに、仁徳天皇=崇神天皇=台与(豊)としています。

上記より、我孫子=天孫=ニニギ=依羅我孫(依網吾彦)=台与(豊)です。

依網吾彦=建波豆羅和気王=彦坐命=依羅宿禰=日下部宿禰も台与(豊)です。


よさみのあびこ」の「よさみ」については、孝昭天皇(第5代)と世襲足媛(よそたらしひめ)で、よそ(よさ)について書いています。

孝昭天皇の皇后の世襲足媛(よそたらしひめ)のよそは、瓢箪のことです。

豊受大神を祭る神器の一つは瓢箪だそうです。丹後国与謝郡の与謝(よそ)の地名起源は瓢箪(ひょうたん)であると海部氏勘注系図の割注に書かれています。孝昭天皇は台与です。


千葉県にも我孫子市があります。我孫子市は利根川流域で近くには行方(なめかた)があります。行方も枚方(ひらかた:大阪府)、南方(みなみかた:大阪市)、宗像(むなかた:福岡県)と同様に方(かた)が付きますので邪馬台国時代の物流の拠点です。利根川を下ると香取神宮と鹿島神宮があります。鹿島神宮の祭神は武甕槌大神、香取神宮の祭神は経津主大神

武甕槌大神(たけみかづち)は台与で、経津主大神(ふつぬし)はスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)です。タケミカヅチは台与!! 彦狭知(ヒコサチ)の物語(1)~経津主神


我孫子市の市名「あびこ」の由来として下記のような記述がありました。

我孫子の由来とは一体どのようなものでしょうか。古代において「我孫子」は氏(ウジ)や姓(カバネ)という、血筋や職種にかかわる苗字のようなものであり、人名として使用されていました。表記は異なりますが「阿毘古」「我孫公」という人の記録が残されています。古墳時代(3世紀から7世紀)にかけて日本列島で大きな権力を有した大王(オオキミ、のちの天皇家につながっていくとされる)や大和地方の有力豪族は、各地の地方豪族を支配下におさめる際に、豊かな土地を直轄地とし、そこに住む人々から貢納物を納めさせました。その際に土地やそこに住む人々に「我孫子」という名前が付けられたと考えられます。大阪や奈良をはじめ、全国各地に「我孫子」「安孫子」「吾孫子」などの地名や人名が認められるのはこのためであると思われます。


※これまでの記事はこちらです。


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、高槻、枚方、交野です。

記紀の登場人物をスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)、卑弥呼、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 


<目次>




・聖徳太子(台与)の母が穴穂部間人(あなほべのはしひと)と書かれている事と、大いに関係があります。間人(はしひと)とは波斯人(はしひと)でペルシャ人のことではないかというわけです。太子が赤い髪の毛をしていたという伝承があります。~波斯人(はしひと)とはペルシャ人 その1 : 新次元の叡智を生きるーBlue dragon for New Earth
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秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
7時間前
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