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物部守屋雑記

更新日:4 日前

第544話 #物部守屋 #跡部氏 #阿刀氏 #台与 #邪馬台国


諏訪大社の本宮(ほんみや)は、赤石山脈北端の守屋山北麓に鎮座しています。

守屋山の守屋とは、物部のことと思われます。第465話:ミシャグジ様は物部守屋

では、ミシャグジ=タケミナカタ=物部守屋=ウツシコオ(内色許男命)スサノオ(津田の王、もしくは御左口神:ミシャグジ=タケミナカタ=物部守屋=台与としています。


つまり諏訪大社は、物部守屋を祀っていることになります。そして、大阪の四天王寺でも、ひっそりと物部守屋を祀っているのです。丁未の乱で敗死した物部守屋とその一族の霊を鎮めるため、守屋の最後の拠点の玉造の難波邸宅跡で現在の鵲森宮が難波の守屋の宅跡と推測されいます。現在四天王寺には守屋祠があり、寺の伝説には守屋が四天王寺をキツツキになって荒らしまわり、それを聖徳太子が白鷹となって退治したとの縁起が残っており、守屋らの社を見下ろす伽藍の欄干に太子の鷹の止まり木が設置されています。


八尾市亀井町にある跡部神社(あとべ)は、物部守屋の別業(別荘)があったと伝えられています。阿都は後の河内国渋川郡跡部郷、現在の大阪府八尾市跡部周辺で、このあたりが物部守屋の領地だったと思われます。跡部神社の現在の祭神は、阿刀連大神、八王子大神ですが、本来は物部氏の一族である阿刀氏(あと)の祖神の饒速日命を祀ったのが創始と考えられています。~台与は饒速日②~交野市倉治

阿刀氏の本拠地の跡部(阿都、阿斗、跡部)は、物部守屋と蘇我と聖徳太子連合軍との最後の戦いで多く登場する地名です。


饒速日命の降臨に船長、舵取りに、跡部・阿刀の名があり、阿刀氏が大和川の舟運を支配していたものと思われます。跡部は、物部防衛(ふさぎのもり)のメンバーでもあります。

物部氏は、先代旧事本紀によると饒速日(ニギハヤヒ)が天下ったときに、防衛(ふさぎのもり)32神、供領(とものみやつこ)5部、物部(もののべ)5造25部、磐船の船頭、舵取り、船子など計73神が随身しています。跡部首等祖は船長で、梶取は阿刀造等祖と書かれています。~物部防衛隊~神武西征

跡部・阿刀が大和川の舟運を支配していたものと思われます。~カモ族は水運業者


聖徳太子が師事した、百済の高僧である日羅が住んでいたのもこの跡部です。

このことは、菟道稚郎子が阿直岐(あちき)に典籍を学んだことを思い出させます。


平安遷都とともに八尾市から嵯峨野に遷った阿刀神社の祭神は味饒田命です

味饒田命=ウマシマジ=台与(豊)です。~味饒田命はウマシマジ ウマシマジは台与!  


阿刀氏は、先代旧事本紀では、饒速日命の孫・味饒田命を祖とすると伝えています。

新撰姓氏録:阿刀宿禰条逸文によれば、大和国城上郡椿市村(奈良県桜井市金屋)にも阿刀連があったといいます。阿刀氏は物部氏と同祖伝承を有しています。


阿刀氏の居住地としては山背国愛宕郡(京都市東北部)、山背国相楽郡(京都府相楽郡)、摂津国豊島郡(大阪府豊中市・池田市・箕面市周辺)が知られており、これらの地は私が邪馬台国とする地です。また、阿刀氏一族から空海(母は阿刀氏)を輩出しています。


諏訪大社では蛙狩神事(かわずがりしんじ)として御手洗川の川底を掘り返してカエルを捕らえ生きたカエルを串刺しにするという行為が行われていました。


カエルと言えば、久延毘古がヒキガエル多邇具久を連れており~久延毘古(くえびこ)

また、ゴトビキ岩のヒキガエルのことを思い出させます。~熊野の神々は、、、

カエルは田んぼのことで、台与が稲作に従事してきたことはこのブログで述べてきました。

諏訪大社でカエルを生贄にするのは、生贄として神前に捧げ、五穀豊穣を祈願するためです。


※これまでの記事はこちらです。


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、高槻、枚方、交野です。

記紀の登場人物をスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)、卑弥呼、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 

<目次>





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秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
5日前
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台与シリーズ>

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