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秦大津父と平原広沢

更新日:10月17日

第471話  #平原広沢 #秦大津父 #徐福伝説 #巨椋池 #秦氏


秦 大津父(はた の おおつち)は、6世紀前半ごろの人物とされています。

山背国(やましろ)、紀郡(きのこおり)深草里(京都市伏見区)の人です。


日本書紀には、以下のような物語を載せています。

欽明天皇(*下記)が幼少の頃、以下のような夢をみた。 「秦大津父という者を寵愛すれば、壮年になって必ず天下をしらすことができるでしょう」

目を覚ました天皇は、使いを遣わして広く探させたところ、その人物を見つけることができた。天皇は珍しい夢であったと喜び、大津父に、「何か思い当たることはないか」と尋ねたところ、「私が伊勢に商価(あきない)をして還る時、山(稲荷山)南方の狼谷(大亀谷)辺りにさしかかったところ、2匹の狼が闘って血まみれになっているのを見かけました。馬から下りて、手を洗い、口をすすいで、『貴い神であるあなたがたが争っていたら、猟士(かりうど)にたちまち捕らわれてしまうでしょう』と言って、争いを止めて、血にぬれた毛を拭い洗って、逃がしてやりました」と言った。天皇は「この報いだろう」と感心し、彼を近侍させ、優遇した。大津父は富を重ね、天皇が即位した後には大蔵の司に任じられた。


この説話は、秦氏と商業活動との関連性を示しています。

こうした交易を通して、大津父が莫大な資産を形成していたことは容易に想像されます。


この秦大津父はウツシコオ(内色許男命)スサノオ(津田の王で秦氏=邪馬台国ではないかというのが今回の論旨です。


鴨王=弟磯城:オトシキ=ウツシコオ(内色許男命)スサノオ(津田の王は、饒速日七世孫の大賈布(大売布;饒速日七世孫)とされています。出典:師木県主 – 國學院大學 古典文化学事業 (kokugakuin.ac.jp)

大賈(たいこ)とは「大商人、富裕な商人、豪商」という意味です。

つまり、秦大津父は大商人、富裕な商人、豪商であることから、ウツシコオ(内色許男命)スサノオ(津田の王ではないかというのが今回の論点です。6世紀前半の人物というのは日本書紀の記事ですから信用しません。


秦氏の拠点である山背国紀郡の紀とは紀ノ國(和歌山)のことでしょう。ウツシコオ(内色許男命)ことヒコユキ(ヒコサチは)は、和歌山県の出身であることはこのブログで何度も書いています。ヒコサチ:忌部氏(彦幸)~和歌山・名草


秦氏の系譜では、松尾大社を祀った秦都理(はたのとり)の弟が、稲荷社を祀った秦伊呂巨(具):イログとなっています。秦氏族は、7世紀頃、桂川の大堰を築堤したり、長岡遷都やこれに引き続いて行われた平安遷都の際にも、河川の改修や都城の造営等で大いに影響を与えたとされています。淀川(茨田堤)を築いたのもウツシコオ(内色許男命)です。石の宝殿2~大阪府寝屋川市


また、秦氏は、賀茂県主族とも早くから姻戚関係を結んでいます。秦氏はカモ(賀茂、加茂、鴨、可)氏でもあります。*賀茂建角身命はウツシコオです。 第280話:建角身命もウツシコオ


当時の深草は、戸数七千五十で、百四十一郷にひろがっていた肥沃な土地でした。出典:『古代朝鮮と日本文化 講談社学術文庫754』金達寿 講談社

元々、深草と言う土地が、山背国内において弥生時代の早い時期から稲作が行われた豊かな土地だったことで知られ、その土地に、渡来移民集団が住み着いていました。

『弥生時代の集落として学史上、著名』(「深草遺跡」『京都市内遺跡試掘調査報告 令和元年度』京都市文化市民局)


巨椋池と巨椋池周辺の河川に整備された大規模な港湾を築き、大小の船舶を駆使した水運で交易を行う渡来移民集団の元締めが大津父だったと思われています。第284話:邪馬台国は巨椋池です。第242話:淀津遺構 第243話: 山崎津と玖賀耳之御笠


広い平野と湿地(巨椋池)これはまさに「平原広沢」です。

平原広沢とは、秦の始皇帝に「東方の三神山に長生不老の霊薬がある」と具申した徐福が、3,000人の童男童女(若い男女)と百工(多くの技術者)を従え、財宝と財産、五穀の種を持って東方に船出したものの三神山には到らず、平原広沢広い平野と湿地)を得て王となり、秦には戻らなかったとの記述があります。


この平原広沢は山背国(やましろ)、紀郡(きのこおり)深草里ではないでしょうか。

平原は深草で、広沢は巨椋池です。第271話:徐福伝説と「呉の勝」 第284話:邪馬台国は巨椋池

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<蛇足の追記>

・欽明天皇は用明天皇の父で用明天皇は聖徳太子の父です。

聖徳太子は台与です。ということは欽明天皇、用明天皇はウツシコオです。

◎古事記・日本書紀に記載されている天皇=淡海三船によって名付けられたとされる天皇はすべて架空の天皇です。

・昔の熊野のあたりが「秦住」とよばれており、徐福の住舊地と伝えられています。

・能楽の金春家に関する系図中では、金春家の始祖とする秦河勝は、大津父の孫とされています。金春家の遠祖は秦大津父とされています。雅楽の始祖は、神八井耳命のとされるように多氏は舞など伝統芸能を待っている一族です。ウツシコオも多氏です。多氏は海神族(ワタツミ一族)=海部氏=安曇族と同族です。

秦氏は養蚕・織物の技術を持っていました。大賈布(大売布)という名は布(絹織物)を売って儲けたということです。虚空蔵菩薩は台与!!


*秦氏・息長氏は、江戸期の三井家に似ています。三井家は京都市に本拠を置き、三井三池炭鉱を経営していました。秦氏は京都の太秦に本拠を置き、古宮八幡宮=田川郡香春町大字採銅所を経営していました。炭鉱のみならず、土木、養蚕、機織、水運、製銅・製鉄・鍛冶・冶金を扱う総合商社と思えば理解しやすいとおもいます。参照:鬼道はサイエンス  ~古代天皇は技術者&ビジネスマン


◎巨椋池は邪馬台国です。→第284話:邪馬台国は巨椋池



※これまでの記事はこちらです。


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 


<目次>




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<これまでウツシコオ(内色許男命)スサノオ(津田の王であることが判明した人物>


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