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 英彦山と台与

更新日:10月19日

第473話 #英彦山 #忍辱 #善正 #台与


福岡県の田川郡にある、英彦山は古代より神体山して信仰されていました。

英彦山は中国北魏僧の善正と忍辱が開いたとされています。善正は中国北魏の孝武帝の子で、日本に渡来し、豊後国日田郡の狩人の藤原恒雄(*1)と出会います。善正は藤原恒雄に、殺生戒を教え、藤原恒雄は出家して、名を忍辱(にんにく)とあらためます。


この藤原恒雄こと忍辱が、豊国法師であるとされるのは、仏教学者の加藤咄堂氏です。

豊国法師は、日本における僧のはじめとされています。

第464話:豊国法師:仏教伝来と台与では、豊国とは台与のことではないでしょうか。と書きました。豊後国日田郡は台与の本拠地の一つです。参照:第407話:日田:金銀錯嵌珠龍文鉄鏡3


善正は、樹木でおおわれた日子山(彦山)の秀麗な姿に心ひかれ、石室を造って住むことになり、そしてこれが彦山の霊泉寺のはじまりとされています。そして豊後国日田郡の藤原恒雄は、よく猟をしており、獣を追って山に入ったとき、岩窟に座している善正に出会います。藤原恒雄は猟を続けますが、善正の姿を見ているうちに信心の気持ちが起こったのか、善正の窟のそばに小屋を作って住むようになります。ある日、藤原恒雄は猟に出て一匹の白シカを見つけ弓で射ました。シカは倒れましたが、三羽の鷹が飛来し、一羽が嘴で矢を引き抜き、一羽が羽で傷口の血をぬぐい、一羽がヒノキの葉を水にひたしてシカにふくませました。すると、シカは蘇生したのです。藤原恒雄は神の仕業と悟り、弓矢を捨て、家財をなげうって祠を建て、善正が抱いて来た異国の仏様を安置して祀り、自らは善正の弟子となります。これが日本における僧のはじめであるという伝説があります。


・鹿はウツシコオのキーワードです。鷹(鳥)は台与のキーワードです。参照:少彦名大神(スクナヒコ)は台与!

・日本書紀によれば、用明天皇(*2)が病気となったとき、天皇が仏教に帰依しようと群臣に諮ったところ、賛否両論はあったった中で、蘇我馬子が賛成したことから、穴穂部皇子に案内されて内裏に入ったのが豊国であったといいます。蘇我馬子がウツシコオ(内色許男命)スサノオ(津田の王で、豊国が台与です。第384話:馬子は大王

・豊前国風土記逸文に「伝言昔新羅神自度来、住此河原、号曰鹿原神。香春岳神。」とあり、新羅神・鹿原神・香春岳神は民間で伝来した仏教や仏像、僧侶などであったとする説があります。鹿原神=鹿はウツシコオ(内色許男命)です。第466話:辛国息長大姫は台与! では香春と台与の関係について書きました。

・英彦山の彦(日子)はウツシコオ(内色許男命)あるいは台与です。第363話:彦はすべて、ウツシコオ(内色許男命)です。新潟県にある霊山である弥彦山も彦がつきます。弥彦神社の祭神である天香山命(あめのかごやま)については、天香山命=大彦=大国主=高倉下としています。第454話:大彦は台与!??天香山命=大彦=大国主=高倉下は台与あるいはウツシコオです。


ちなみに英彦山神宮の祭神は正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命(まさかつあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと:)です。第438話:hidemaru3375.com/post/天忍穂耳尊は饒速日!?では天忍穂耳尊は饒速日=ウツシコオ(内色許男命)スサノオ(津田の王としています。


・秦王国といわれていた豊前(*)には、秦氏の宗教ともいうべき古代シャーマニズムと道教と仏教が混淆したハイブリッドな常世信仰があり、豊国奇巫(とよくにのくしかむなぎ)や豊国法師はシャーマンであったとする研究もあります。シャーマニズムといえば、卑弥呼→台与を思い起こさせます。


(*)秦王国といわれていた豊国は、秦総合商社(邪馬台国)・九州支店です。秦総合商社(邪馬台国)の本店は山背国(やましろ)、紀郡(きのこおり)深草里(京都市伏見区)です。秦大津父と平原広沢


(*1)藤原恒雄~台与は藤原です。台与は衣通姫(そとおりひめ)で別名は布遅波良己等布斯郎女(ふじわら:藤原・ことふし・のいらつめ)です。参照:継体天皇はトヨ(台与)??!


*古事記・日本書紀に記載されている天皇=淡海三船によって名付けられたとされる天皇はすべて架空の天皇です。


※これまでの記事はこちらです。


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 


<目次>





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