観音菩薩と台与(1)~大聖観音寺
- tootake
- 3月21日
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更新日:3月23日
第628話 #邪馬台国 #大聖観音寺 #台与
第528話:六万体地蔵~天王寺 第561話:ダイダラボッチ・大人弥五郎
同じように民間で広く信仰されている観音様も台与(豊)がもとになっているのではないかと思い立ち調べてみました。
観世音菩薩に対する信仰、観音の慈悲の功徳は、「法華経」「華厳経」などの経典に述べられています。信仰の様相は多岐にわたり、招福攘災・観音悔過(けか)・死者追善などの現世利益の信仰や、浄土信仰の側面では観音の住む補陀落(ふだらく*)浄土が信じられ、阿弥陀の極楽浄土の主尊や脇侍(きょうじ)としても信仰されています。多彩な救済の姿は,六観音・七観音・三十三観音などの変化身(へんげしん)を生み、西国三十三所観音や坂東三十三所観音・百番巡礼などの霊場を成立させています。~ (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
第617話:大阪と邪馬台国:我孫子(あびこ) では、大阪市住吉区にある大聖観音寺(だいしょうかんのんじ)について書きました。本尊は聖観音菩薩で、日本最古の観音菩薩の霊場だとされています。通称あびこ観音。西門付近の石柱は吾彦観音寺の表記となっている。あびこの名は、この地の豪族、依網吾彦(よさみのあびこ)*に由来するといわれています。百済と交易をしていた依網吾彦の一族が百済の聖明王から一寸八分の観音像を贈られ、欽明天皇7年(546年)にこの地の人々がその像を祀る堂を建てた。そして、推古天皇14年(607年)に聖徳太子がその観音像を祀る観音寺を建立したとされています。
「よさみのあびこ」の「よさみ」については、孝昭天皇(第5代)と世襲足媛(よそたらしひめ)で、よそ(よさ)について書いています。
孝昭天皇の皇后の世襲足媛(よそたらしひめ)のよそは、瓢箪のことです。
豊受大神を祭る神器の一つは瓢箪だそうです。丹後国与謝郡の与謝(よそ)の地名起源は瓢箪(ひょうたん)であると海部氏勘注系図の割注に書かれています。孝昭天皇は台与です。
*阿毘古、我孫公とは台与(豊)のことでしょう。
*依網吾彦(よさみのあびこ)は、スサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)でしょう。
そして観音様は、女性であると思われているようです。
中国では「慈母観音」などという言葉から示されるように、俗に女性と見る向きが多く、地蔵が男性の僧侶形の像容であるのに対し、観音は女性的な顔立ちの像容も多いことからそのように見るようです。観音経では「婦女身得度者、即現婦女身而為説法」と、女性に対しては女性に変身して説法することもあるため、次第に性別は無いものとして捉えられるようになっています。また、妙荘王の末女である妙善という女性が尼僧として出家、成道し、観音菩薩となったという説話が十二世紀頃に中国全土に流布し、香山宝巻の成立によって王女妙善説話が定着、美しい女性としての観音菩薩のイメージが定着したとする説もあります。
そのようなことからも台与が観音様として敬われてきたことも十分に考えられます。
第467話:虚空蔵菩薩は台与!!で書いたように虚空菩薩は台与(豊)です。
蚕の糞を蚕糞(こくそ)といい、漆工職が使う木粉を漆に混ぜたものも木屎(こくそ)で虚空蔵(こくそう)と語呂合わせができます。また蚕は幼虫→繭→蛾と死と再生(擬死再生)を三度くりかえすので不老不死の常世虫といい、それが常世の神(蚕神:かいこがみ)として信仰されたことから、養蚕や絹織物に励む秦氏にとって、蚕(常世虫)と常世の神(蚕神)と虚空蔵菩薩は一体となったのです。~hidemaru3375.com/post/台与と秦氏
嵐山(京都府京都市)にある法輪寺は、虚空蔵菩薩を本尊としています。知恵と福徳を授かるために多くの参拝者が訪れます。
嵐山は保津峡・保津川下りの終着地です。亀岡から保津川を下り、様々な物資を運んだことは、第604話:鉱物と邪馬台国(2)~亀岡:錫:で述べました。
法輪寺は13参りで有名です。十三参りとは、旧暦の3月13日前後に数え年で13歳になる子どもが、知恵を司る虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)にお参りする行事です。
13歳とは、台与(豊)が邪馬台国の大王に即位した年齢です。
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<補陀落(ふだらく*)>
観音菩薩の浄土(かんのんぼさつのじょうど)を補陀洛山(ふだらくさん)といいますが、その補陀洛山からフタラ山(二荒山)の名がついたという説が一般的ですが、男体山(なんたいさん)、女峰山(にょほうさん)に男女の二神が現れたのでフタアラワレの山になったという説も有ります。日光の地名は820年(弘仁11年)、弘法大師(空海)がこの地を訪れた際に、二荒山:ふたらさんの「二荒」を「にこう」と音読みしたことに由来するといわれています。「にこう」の読みに対して「日光」の字が当てられ、現在に至っています。
・男女の二神というのは、台与(豊)とスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命のことです。
※これまでの記事はこちらです。
※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、高槻、枚方、交野です。
※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけ!??としています。
記紀の登場人物をスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)、卑弥呼、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。
・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。
<目次>

髪長姫(かみながひめ)とはどういう人物か。都城との関係を知りたい。 | レファレンス協同データベース
道成寺 - Wikipedia
『髪長姫かみながひめ』は、史実しじつでいうと藤原不比等ふじわらのふひとの長女ちょうじょで、第だい42代だい文武天皇もんむてんのうの正妃せいひとなり、第45代聖武天皇しょうむてんのうのご生母せいぼとなられた藤原宮子ふじわらのみやこ(宮子姫みやこひめ)です。藤原宮子は、7世紀後半せいきこうはん、九海士くあまの里さと(和歌山県御坊市わかやまけんごぼうし)でお生うまれになったと伝つたえられています。
<台与シリーズ>
hidemaru3375.com/post/天鈿売命(うずめ)は台与(豊)
https://www.hidemaru3375.com/post/かぐや姫は、台与(とよ)
https://www.hidemaru3375.com/post/磐井の乱と台与
https://www.hidemaru3375.com/post/豊受姫(豊受大神)は崇神天皇
https://www.hidemaru3375.com/post/火明命は饒速日なのか??
https://www.hidemaru3375.com/post/豊鍬入姫命-日光と男体山・女峰山
hidemaru3375.com/post/台与と秦氏 敏達天皇は台与(豊)
衣通姫(そとおりひめ)は台与(豊) 雄略天皇は台与(豊)!
孝昭天皇は台与:日原は目原 飯豊王女は台与(トヨ)なのか?
金銀錯嵌珠龍文鉄鏡(2)大原足尼命はトヨ 大宜都比売(おおげつひめ)は台与
倭迹迹日百襲姫命(ヤマトトモモソ姫)はトヨ?? 神八耳命は台与(豊)
饒速日(ニギハヤヒ)は台与①~稲作 台与は饒速日②~交野市倉治
小楯姫は台与:小楯は枚方 四道将軍:日子坐王は台与!
少彦名大神(スクナヒコ)は台与! 大彦は台与!??
ウマシマジは台与! 阿蘇都媛は台与
沼河比売は小楯姫=台与 タケミカヅチは台与!!
ヤマトタケルは台与 瓊瓊杵尊:ニニギは台与
継体天皇はトヨ(台与)??! 継体天皇は台与2~大々杼郷:楯原神社
継体天皇は台与3~田井(寝屋川市) 英彦山と台与
山部赤人は台与! 八幡神は台与!!
とよ(乎止与命・台与・臺與) 台与の物語