観音菩薩と台与(5)~鶴林寺
- tootake
- 3月25日
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更新日:4月4日
第632話 #善信尼 #聖徳太子 #台与(豊) #行基
鶴林寺(かくりんじ)は、兵庫県加古川市にある天台宗の寺院です。本尊は薬師如来。加古川市街地に位置しています。数多くある聖徳太子開基伝承をもつ寺院の1つで、太子建立七大寺の一つともいいます。太子堂をはじめ多くの文化財を有し「西の法隆寺」とも称されている播磨地方有数の古寺です。
創建は崇峻天皇2年(589年)にさかのぼり、聖徳太子が当時物部守屋に迫害されて播磨の地にいた高麗僧・恵便(えべん)のために秦河勝*に命じて建立させたといいます。
また、鶴林寺縁起には、蘇我氏と物部氏の争いから逃れていた高麗(こま)の僧・恵便、善信尼のために聖徳太子が秦河勝に命じて、崇峻天皇2年(589)この地に3間4面の堂舎を建立させたことに鶴林寺の歴史がはじまると記されている。*秦河勝はウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)です。~秦河勝:摩多羅神はウツシコオ!
推古天皇*は聖徳太子に「播磨国の水田100町を与えた。そして聖徳太子*はこの地を斑鳩寺に納めた」と記されています。姫路の西・太子町には「斑鳩寺(はんきゅうじ)」という太子ゆかりのお寺が残っています。加古川流域には聖徳太子が造らせたと伝わる最古の用水路「五箇井」があり、基準位置に使ったという「太子岩」*という岩礁も残されています。
*推古天皇は台与(豊)です。~推古天皇(第33代)は台与!
*聖徳太子は台与(豊)です。~聖徳太子は菟道稚郎子?! 聖徳太子伝説~堀江と茨田堤
*「太子岩」は傍示石~聖徳太子の投げ石です。~傍示石~聖徳太子の投げ石
この辺り(播磨)のことは、何度もこのブログで書いています。
第534話:斑鳩寺・稗田神社~兵庫県太子町 第535話:佐比の岡~兵庫県太子町
第536話: 塞ノ神と佐比の岡とおくどさん 第537話:神八耳命は台与(豊)
播磨国風土記には、河内国茨田(まむた)郡枚方の里の漢人(あやひと:百済等からの渡来人)がやってきて、初めてこの村に住みました。そこで平方(枚方:ひらかた)の里といいます。また、太田と称するわけは、昔、呉の勝(スグリ)が韓の国から渡ってきて、はじめ紀伊の国(和歌山)の名草の郡の太田の村に着いた、その後、分かれて摂津の国の三島の賀美の太田の村に移ってきて、それが揖保の太田の村に移住して来た。これは元居た紀伊の国の太田をとって里の名とした。とも書かれています。
つまりこの辺りは、私が邪馬台国とする三島(茨木市、高槻市)、枚方市と非常に関係が深い地なのです。
鶴林寺縁起にあるは、蘇我氏と物部氏の争いから逃れていた高麗(こま)の僧・恵便は、善信尼の師とされる人物です。そして善信尼は、第464話:豊国法師:仏教伝来と台与で書いたように台与(豊)です。男女を問わず日本で初めての僧は11歳の善信尼だということです。第539話:仏教伝来異聞では、善信尼は13歳で大君(天皇)に即位した台与(豊)だったからでしょう。そして台与(豊)は聖徳太子です。と書きました。
※善信尼(ぜんしん)は、記録上日本で最初の留学生(百済へ留学)名は嶋(しま→三島?)。日本最初の僧尼の一人となった。恵便を師として出家し、善信尼を名乗った。11歳のときである。←善信尼 - Wikipediaより引用
なお元々の鶴林寺は生駒山にありました。生駒山は日本最古の霊場で、かつて修験者たちの修行の場でまずは707年に役行者(えんのぎょうじゃ)が開山したとされています。
鶴林寺は生駒山山頂付近にありましたが、その後2度も場所を変えています。
現在の生駒の鶴林寺は鬼取町(近鉄南生駒駅から西北3キロメートル)にあります。
本尊は薬師如来坐像でも、行基*が開創したと伝えられています。大和名所図会には般若岩屋やと記され、元は生駒山腹に滝や岩場に囲まれた広大な伽藍(がらん)がありました
*野崎観音(第630話)・嵐山(第629話)の宝輪寺の堂塔を建てたのも行基です。行基は、台与(豊)と同じように大阪南部に多くの農業用のため池をつくりました。~大阪と邪馬台国:美木多(堺市南区)
私の通っていた三島郡三宅小学校校歌には「飛べば生駒の地もゆるぐ」という歌詞がありました。生駒山は、河内平野に住む者の心の故郷です。疫病(コロナ)の大流行により、やむなく播磨に移住した三島の人々も生駒が恋しくて鶴林寺と名付けたのかもしれません。
<観音信仰と台与>
※これまでの記事はこちらです。
※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、高槻、枚方、交野です。
※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけ!??としています。
記紀の登場人物をスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)、卑弥呼、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。
・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。
<目次>

大日霊貴神社 - Wikipedia
大神木神社 - Wikipedia
大佐々之命 岡本豊足彦
大佐々之命」は、「大佐々伎之命」の脱字ではないのでせうか。 それでしたら、「大鷦鷯尊」「大雀命」と同様に、 「おほさゞきのみこと」になるのですが。 「大佐々之命」で正しいならば、 「おほさゝのみこと」「おほさゞのみこと」「おほざゝのみこと」の何れかでせう。 「岡本豊足彦」は、「おかもと(の)とよたらしひこ」でせう。
<台与シリーズ>
hidemaru3375.com/post/天鈿売命(うずめ)は台与(豊)
https://www.hidemaru3375.com/post/かぐや姫は、台与(とよ)
https://www.hidemaru3375.com/post/磐井の乱と台与
https://www.hidemaru3375.com/post/豊受姫(豊受大神)は崇神天皇
https://www.hidemaru3375.com/post/火明命は饒速日なのか??
https://www.hidemaru3375.com/post/豊鍬入姫命-日光と男体山・女峰山
hidemaru3375.com/post/台与と秦氏 敏達天皇は台与(豊)
衣通姫(そとおりひめ)は台与(豊) 雄略天皇は台与(豊)!
孝昭天皇は台与:日原は目原 飯豊王女は台与(トヨ)なのか?
金銀錯嵌珠龍文鉄鏡(2)大原足尼命はトヨ 大宜都比売(おおげつひめ)は台与
倭迹迹日百襲姫命(ヤマトトモモソ姫)はトヨ?? 神八耳命は台与(豊)
饒速日(ニギハヤヒ)は台与①~稲作 台与は饒速日②~交野市倉治
小楯姫は台与:小楯は枚方 四道将軍:日子坐王は台与!
少彦名大神(スクナヒコ)は台与! 大彦は台与!??
ウマシマジは台与! 阿蘇都媛は台与
沼河比売は小楯姫=台与 タケミカヅチは台与!!
ヤマトタケルは台与 瓊瓊杵尊:ニニギは台与
継体天皇はトヨ(台与)??! 継体天皇は台与2~大々杼郷:楯原神社
継体天皇は台与3~田井(寝屋川市) 英彦山と台与
山部赤人は台与! 八幡神は台与!!
とよ(乎止与命・台与・臺與) 台与の物語