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観音菩薩と台与(6)~佐井寺

  • tootake
  • 3月26日
  • 読了時間: 5分

更新日:3月29日

第633話 #伊射奈岐神社 #五十鈴姫 #行基


佐井寺(さいでら)は、大阪府吹田市佐井寺にある真言宗の寺院です。山田寺(さんでんじ)とも号しています。山田(やまだ)はこの辺りの地名です。太陽の塔がある万博公園の近くです。本堂の十一面観音とあわせて、境内の薬師堂の薬師如来も信仰を集めています。


寺伝によれば天武天皇6年(677年)道昭の草庵が起こりで、道薬・行基と相承。

天平7年(735年)2月16日、行基が裏山の瑞光に気がつき、その地を掘ると栴檀香木の観音像が出現したのでこれを本尊とし、詔を得て伽藍を草創し、坊舎60余院となりました。 当寺に水が乏しいので行基が祈祷で湧出したと伝え、江戸時代には境内に引かれて眼病の特効薬とされた。~佐井寺 - Wikipedia

大阪府指定文化財の木造地蔵菩薩立像は地蔵塚から行基が発掘したと伝え、維新まで伊射奈岐神社境内の地蔵堂に安置されていました。

とにかく行基に関する言い伝えの多い寺です。行基はこのブログの観音菩薩と台与で何度も登場しています。鶴林寺(第632話)、野崎観音(第630話)・嵐山(第629話)の宝輪寺の堂塔を建てたのも行基です。行基は、台与(豊)と同じように大阪南部に多くの農業用のため池をつくりました。~大阪と邪馬台国:美木多(堺市南区)


ところで佐井寺の佐井(さい)ですが、「さい」といえば、鉄器・五十鈴姫なのです。

五十鈴姫は鉄の神では次のように書きました。

古事記では、五十鈴姫(イスズ姫:ホト・タタラ・イスケ・ヨリヒメ)が住んでいたのは佐井川(サイ)のほとりと書いてあります。サイとは鉄製の小刀のことで鉄に関わる言葉です。神の山とされる三輪山には穴師坐兵主神社があります。穴は鉄穴で鉄の鉱山、兵主は鍛冶・製鉄の神であることは様々に検証されています。穴師は鉱山技術者のことです。


三輪山の麓には、茅原(ちはら:桜井市)があります。ちはらは血原、赤い原=鉄の沼があったと思われます。沼鉄鋼ののことをスズ・イスズと呼びます。五十鈴姫はのイスズはここから来ています。そしてホト・タタラ・イスケ・ヨリヒメのホトは鞴(ふいご)、蹈鞴(たたら)です。たたら製鉄とは、日本において古代から近世にかけて発展した製鉄法で、炉に空気を送り込むのに使われる鞴(ふいご)が「たたら」と呼ばれていたために付けられた名前です。砂鉄や鉄鉱石を粘土製の炉で木炭を用いて比較的低温で還元し、純度の高い鉄を生産できます。


金屋子神は五十鈴姫 (hidemaru3375.com)では金屋子神社(島根県能義郡広瀬町西比田)より西方約40kmに石見銀山があり、当地に佐毘売山神社(さひめやまじんじゃ)があり、この「佐毘売」は、金屋子神の別名ではないかと言われています。佐毘売は、五十鈴(イスケヨリヒメ)のことでしょう。「佐韋河(さいがわ)の上」にある五十鈴の家があったと書かれています。佐韋河は狭井川とされ、三輪山の麓を流れる川とされていますが、私は茨木市、摂津市を流れる安威川(あいがわ)だと思います。サイはsaiで、aiに音が通じます。大阪府茨木市には、五十鈴(〒567-0000)という地名があります。五十鈴姫の母とされる玉櫛姫の玉櫛(〒567-0895)という地名と並んで存在します。いさかわはisa川でsaiつまりサとイをひっくり返しただけです。


そして、この佐井寺は、伊射奈岐神社(いざなぎじんじゃ)と同じ位置にあります。

社伝によると、雄略天皇の代に伊勢神宮斎宮である皇女・倭姫*の示教によって岡本豊足彦*が五柱の皇大神を奉祀する地を探し求め、付近の小川谷の地に祀ったといいます。

*倭姫・岡本豊足彦は台与です(下記)。

小川谷の場所は近くに「山田小川公園」があるのでその付近でしょう。


<考察>

・佐井寺は五十鈴姫=台与(豊)と関係の深い場所と思います。

・佐井寺が伊射奈岐(イザナギ)と関係が深いとすれば、五十鈴姫=台与との関係が深いと思われます。ここで思い出されるのが菊理姫(くくり姫)です。~菊理媛神~大目は大日

神産みで伊弉冉尊(いざなみ)に逢いに黄泉を訪問した伊奘諾尊(いざなぎ)は、伊弉冉尊の変わり果てた姿を見て逃げ出した。しかし泉津平坂(黄泉比良坂)で追いつかれ、伊弉冉尊と口論になります。そこにあらわれた菊理媛神が何かを言うと、伊奘諾尊はそれを褒め、帰って行った、とあります。 菊理媛神が何を言ったかは書かれておらず、また、出自なども書かれていません。この説話から、菊理媛神は伊奘諾尊と伊弉冉尊を仲直りさせたとして、縁結びの神とされています。


※ここからは小説です。

菊理姫も台与(豊)です。菊理姫は伊射奈岐(イザナギ)の義父だというのが私の筋書きです。ウツシコオの姉であるウツシコメ(卑弥呼)がイザナギ・イザナミの男子に嫁ぎ生まれた子が台与(豊)です。台与(豊)は卑弥呼が亡くなった後にヤマト(邪馬台国)の大王に即位したのです。


<観音信仰と台与>


※これまでの記事はこちらです。


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、高槻、枚方、交野です。

記紀の登場人物をスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)、卑弥呼、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 


<目次>






岡本足彦は台与(豊)と思われます。足(たらし)は旅→道の連想からスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)・台与の事です。~第335話:双体道祖神

岡本足彦の別名は大佐々之命・大佐々伎之命(おおささき)とされており、大鷦鷯尊(おほさざき)=仁徳天皇 つまり台与(豊)です。~第582話:仁徳天皇(第16代)



 
 
 

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秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
Mar 26
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秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
Mar 25
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綱敷天神社によると、古くは兎餓野、菟餓野、闘鶏野、刀我野、都下野、斗賀野とも書かれ、古事記日本書紀の時代から登場するとされる。新羅語で「日の出」を意味する言葉、都祈野(ときの)の転訛とされるが所説ある[5]


坐摩神社 - Wikipedia

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秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
Mar 25
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台与シリーズ>

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