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観音菩薩と台与(9)~高浜神社・常光円満寺:吹田

  • tootake
  • 3月30日
  • 読了時間: 5分

第637話 #吹田 #饒速日 #台与 #邪馬台国


高浜神社は、吹田市高浜町にあります。社名の高浜とは吹田の別名です。

主祭神は素盞嗚大神です。他に、天照皇大神、春日大神、住吉大神、白山大神、そして吹田祖神二座として火明命、天香山命が祀られています。天照皇大神は卑弥呼、春日大神=住吉大神はウガヤフキアエズのミコトスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)、白山大神は菊理姫(くくり姫)=台与です。~菊理媛神~大目は大日

火明命=天香山命(高倉下)=台与です。


大和朝廷の時代5世紀前後のころ、河内国次田邑の豪族「次田連(すきた・むらじ)一族が淀川を渡り、次田村を興し、これが「吹田」の始まりであるとされています。高浜神社は次田連一族の氏神神社で、祖神の火明命天照国照彦天火明串玉饒速日尊=にぎはやひ=台与)とその息子の天香具山命(高倉下命)の二柱を祀ったのが起こりであるとされています。しかし、この辺りは 摂津国島下郡(しましも こおり)で三島下郡、太田郡)吹田村高濱です。


摂津の国という地名は大宝4年あたりに文献に登場します。このことはかなり奇妙なことです。日本中の国名はほぼ定まっているのに北摂だけは名前の無い空白地帯ということです。大阪地域は、津国と呼ばれていたようなのですが 直木氏は北摂という地名に違和感があり、摂津になぜ北摂が加わったかと疑問を持たれています。(摂津の誕生 直木考次郎古代を語る6) 私が生まれた三島郡三島町は今は摂津市になっています。摂津市ができたのは私が小学校6年のときです。~hidemaru3375.com/post/ミマキ国(邪馬台国)での疫病-そして、、


古代の行政区画で吹田の殆どは三島郡です。播磨国風土記には、こんな記述があります。

「太田と称するわけは、昔、呉の勝(スグリ)が韓の国から渡ってきて、はじめ紀伊の国(和歌山)の名草の郡の太田の村に着いた、その後、分かれて摂津の国の三島の賀美(=上)の太田の村に移ってきて、それが揖保の太田の村に移住して来た。これは元居た紀伊の国の太田をとって里の名とした。」 


つまり、吹田市、茨木市、高槻市が摂津の国の太田というわけです。呉の勝(スグリ)とはウガヤフキアエズのミコト一族=スサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)一族です。


吹田の北隣で同じ島下群に属する福井村には新屋坐天照御魂神社があります。高浜神社より古く4世紀後半に崇神天皇、景行天皇の勅命により奉斎、創建されたとされています。主神は天照国照彦天火明串玉饒速日尊、この神は高浜神社創建当時の主神と同じであることから饒速日尊(にぎはやひ=台与)は古代における吹田地域を含む三島郡の地主神であったようです。


新屋坐天照御魂神社については、第483話:饒速日(ニギハヤヒ)は台与①~稲作

第23話:饒速日は天照大神ですでに書いています。


饒速日尊は台与(豊)ですから、邪馬台国の時代の吹田には台与(豊)がいたことになります。前述したように台与(火明命=天香山命)は吹田祖神です。


そして、またしても行基が登場します。天平7年(735年)に行基がこの高浜神社の西に石浦神宮寺を創立し、浜之堂(現、常光円満寺:大阪府吹田市元町)と名づけると、高浜神社はその鎮守社となり牛頭天王(素盞嗚大神)を勧請して、社名を浜之宮牛頭天王社とします。


寺の縁起によれば、行基は夢の中に牛頭天王(=スサノオ)が、現れ「吹田に聖なる香木がある」というお告げを聞き吹田に来てみると、白砂青松の砂浜に、夢のお告げ通り一本の香木が打ち上げられていたと云う。僧行基は、その香木で聖観音菩薩像を彫刻し、この場所を聖地としてお堂を建て、聖観音菩薩像を本尊としてまつられた。このお堂は浜辺に建てられたことから、人々はいつしか「浜の堂」と呼ぶようになり、行基の布教道場となったことが常光円満寺文書に記述があります。智慧を授かる為に日夜光明が絶えず、誰云うことなく山号は慧日山となり、「常に光明が放たれる寺」ということから「常光寺」と改めたと云う。治承2年(1178年)隣地吉志部村(現在の岸部)にあった円満寺の仏像を移して、同寺の寺号を加えて常光円満寺と号された。


行基は、台与(豊)のことを知っていたとしか思えません。このブログでは行基のことなど書くつもりは一切なかったのですが、台与の活動していた場所をには、行基が現れて来るのです。


古事記・日本書紀が完成した時期に、行基は日本の各地に寺院を建てています。古事記・日本書紀は実は台与が書き残した記録を元に編纂(改竄:かいざん)されたのだと思い始めています。行基は、改竄される前の台与の記録を読んでいたのでしょう。行基も渡来系の一族です。


<観音信仰と台与~なぜか毎回 行基が登場します>




※これまでの記事はこちらです。


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、高槻、枚方、交野です。

記紀の登場人物をスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)、卑弥呼、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 


<目次>





   13歳で邪馬台国の大王に即位した臺與のイメージ


 
 
 

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秀丸 遠嶽
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