卑弥呼の残像:元伊勢(10)~御杖神社
- tootake
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第663話 #宇多秋宮 #佐佐波多宮 #邪馬台国
御杖神社は、奈良県宇陀郡御杖村神末にある元伊勢です。
御杖(みつえ)ということから、この神社がウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)の社(やしろ)であることがわかります。
このブログでは何回も、ウツシコは道の神だと述べてきました。道ということから、旅、道、旅、足などの言葉が連想されます。杖も道からの連想です。
案の定、御杖神社の祭神は、久那斗神、八街比古神、八街比女神です
久那斗神(クナト)について、第267話:岐神~クナトの大神で書きました。
久那斗神(クナト)は船戸神(フナト)とも言います。ウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)は元々船乗りです。~第117話:小説 邪馬台国前史~船
また第442話:双体道祖神では次のように書きました。
双体の道祖神は猿田彦とアメノウズメとされていますが、実は八衢比古(やちまたひこ)と八衢比売(やちまたひめ)という男女だそうです。ヤチマタヒコ・ヤチマタヒメ《八衢比古・八衢比売》 | 名古屋神社ガイド (jinja.nagoya)
この御杖神社の祭神は双体道祖神ということです。
ちまたは「道(ち)股(また)」の意味、道の分かれる場所・いわゆる辻(十字路)や町中の道、物事の境目、分かれ目などを指すします。古代伝承にある民間信仰の神、八衢比売神(やちまたひめのかみ)・八衢比古神(やちまたひこのかみ)の両神は、道俣神として古事記に登場しています。
「やちまた」とは袴(褌)つまり今で言うズボン(パンツ)のことです。
ズボンが右足と左足に分かれることから、八衢比古(やちまたひこ)は道の分岐で行方をしめす道案内の神とされたのです。伊弉冉尊の褲(はかま)から道俣が生まれてたとされています。衢(ちまた)は一般的に四つ辻や分かれ道、あるいは道そのものを意味する言葉です。八衢は八つ、もしくは多数に別れる道を司る神と解釈されます。
もともとは道(ち)の股(また)から来ています。現在でも使う”チマタのウサワ”の”巷”もこれが語源で、人の集まり、世間という意味で使われています。八衢比古は道案内の神である猿田彦=道祖神=ウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)でまちがいありません。参照:天御中主神:北斗:妙見 (hidemaru3375.com)
黄泉国から逃げ伸びた伊弉諾尊(いざなぎ)は「嫌に醜い穢れた国を訪ねてしまった。私は穢をしよう。」と言い、投げ棄てた御杖(みつえ)から成す神の名は「衝立船戸神」、次に投げ棄てた御帯(みおび)から成る神の名は「道乃長乳歯神」、次に投げ棄てた御袋(みふくろ)から成る神の名は「時量師神」、次に投げ棄てた御衣(みけし)から成る神の名は「和豆良比能宇斯能神」、次に投げ棄てた御褌(みはかま、袴)から成る神の名は「道俣神」、次に投げ棄てた御冠(みかがふり)から成る神の名は「飽咋之宇斯能神」、次に投げ棄てた左手の手纏(たまき、腕輪)から成る神の名は「奥疎神」次に「奥津那芸佐毘古神」次に「奥津甲斐弁羅神」、次に投げ棄てた右手の手纏から成る神の名は「辺疎神」次に「辺津那芸佐毘古神」次に「辺津甲斐弁羅神」である。(古事記)
そして御杖神社は、佐佐波多宮(ささはたのみや)の候補地です。
佐佐波多宮は、倭姫命世記に記載される元伊勢です。
日本書紀に「菟田筱幡」、皇太神宮儀式帳に「宇太乃阿貴宮」は現在の奈良県宇陀市周辺にあたるとされています。御杖神社は、奈良県宇陀郡御杖村神末にあります。
倭姫命が、「宇多秋宮」より遷り、天照大神安住の地、現在の伊勢の神宮(伊勢神宮)の皇大神宮(内宮)を求める長い旅の途上、大和国宇多秋宮(宇太阿貴宮)に遷り、四年間奉斎します。この時、倭国造は、采女 香刀比売(かとひめ)、地口・御田を進った。
大神が倭姫命の夢に現はれ「高天の原に坐して吾が見し国に、吾を坐せ奉れ」と諭し教へた。倭姫命はここより東に向って乞ひ、うけひして言ふに、「我が心ざして往く処、吉きこと有れば、未嫁夫童女に相(逢)へ」と祈祷して幸行した。(倭姫命世記)
上記を現代語にすると
「天照皇太神のお供に従って仕え奉ってはどうか?」と問うと、香刀比売「仕え奉ります」と答えました。そして「お供に従って仕え奉る童女」を「大物忌」と定め、天磐戸の鑰(鍵)を預けました。童女*(大物忌)は黒き心を無くし、丹き心(真心)を持ち、清潔く斎慎み、左の物を右に移さず、左を左として、右を右として、左に帰り右に廻ることも万事正しく行い太神(天照皇太神)に仕え奉りました。元(はじめ)を元とし、本を本にする所縁です。また弟の大荒命も同じように奉りました。「宇多秋宮」より行幸して「佐々波多宮」に遷しました。
*現れた童女の名は宇太乃大祢奈、天見通命の孫とあります。倭姫命世の最後の方で、豊宇気大神(豊受)として登場します。豊受姫は台与(豊)です。
天見通命はウツシコオ(難升米)です。
そして、さらに私風に曲解するとこうなります。
香刀比売=台与=「お供に従って仕え奉る童女」=「大物忌」=大物主と定め、天磐戸の鑰(鍵)=ヤマト(邪馬台国)を預けました。大物主は台与(豊)です。~第653話:大神神社(16)~大物主は台与!!
つまり卑弥呼の後を台与(香刀比売)が天磐戸の鑰(鍵)=ヤマト(邪馬台国)を引き継いで、台与が大物主になったのです。
弟の大荒命は、ウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)です。ウツシコオ(難升米)は卑弥呼(ウツシコメ)の弟です。
宇多秋宮の宇多(うだ)は、宇陀(うだ)で水銀が採れる地域です。~第615話:鉱物資源と邪馬台国13~阿陀比売命(五條市)
<元伊勢シリーズ>
※これまでの記事はこちらです。
※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、高槻、枚方、交野です。
※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。
~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。
記紀の登場人物をスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。
・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。
<目次>

甲賀三郎 (こうがさぶろう)とは【ピクシブ百科事典】
なぜ、ボロボロに負けた神様が「軍神」として祀られているのか? タケミナカタと諏訪大社 | 歴史人
<これまでウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)であることが判明した人物>
第374話:牛鹿臣はウツシコオ! 第371話:彦狭島命~吉備児島
第372話:建日方別:彦狭嶋命 第369話:神武西征~健磐龍命
第365話:君が代(2):君はウツシコオ 第363話:彦はすべて、ウツシコオ
第324話:武内宿禰はウツシコオ!! 第325話:天之日矛はウツシコオ
第326話:大日彦(オホヒヒ彦)~守口 第327話:于道朱君の衝撃~新羅
第328話:沙至比跪(サチヒコ) 第329話:アメノヒボコはウツシコオ
第330話:投馬国とウツシコオ~丹波(但馬) 第331話:朱智神社~迦邇米雷王
第333話: 牛頭天王(スサノオ)はアメノヒボコ?
第380話:猿田彦は異国人 第401話:犬養氏:スサノオは天手力男神=野見宿禰
第335話: 天道根命は道祖神=ウツシコオ 第334話: 大彦は、五十猛!
第336話:大屋彦~根の国は和歌山 第337話:阿多賀田須命~宗像氏
第338話:月読命(ツクヨミ) 第349話:天児屋命はウツシコオ!!
第357話:武甕槌神(タケミカヅチ)考 第317話:ひょっとこ:火男~天之御影命
第318話:空海のルーツは内色許男命! 第319話:和知津美命はワタツミ!!
第320話:欠史八代はヤマト=三島 第230話:三嶋溝抗命たち(複数)
第231話:神八井耳命は三毛入野 第232話:内色許男命は武埴安彦命!
第274話:八咫烏もウツシコオ 第275話:事代主もウツシコオ?
第279話:開化天皇 第280話:建角身命もウツシコオ
第263話:中臣氏~中臣烏賊津 第256話:ウガヤフキアエズのミコト
第244話:大津神社と建南方富命 第245話:豊御気主命は三毛入野!
第246話:高御産巣日神(高木神) 第247話:今迦毛大御神と天若日子
第249話:物言えぬ皇子~阿遅須枳高日子 第251話:猿田彦は塩土老翁神
第252話:迦毛大御神は崇神天皇! 第253話:キサガイヒメはウツシコオの母!
第354話:伊勢津彦はタケミナカタ =ウツシコオ 第254話:興玉命も内色許男命
第361話:宇都志国玉神と宇都志日金拆命 第394話:天御鳥命(武夷鳥命)は火の鳥
第395話:天日鷲命は、、、 第397話:獲加多支鹵大王(ワカタケル) =雄略天皇
◎hidemaru3375.com/post/ヒコユキからウツシコオへの過程
<台与シリーズ>
hidemaru3375.com/post/天鈿売命(うずめ)は台与(豊)
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